16歳の女性が子供であるはずがない。
だが、今の日本では、18歳未満は、何と「児童」とされているのである。
それが、どれほど日本を駄目にしているかは、恐ろしいほどである。

マーガレット・ミッチェルの小説『風と共に去りぬ』の、いかなる男性も虜にしてしまうヒロイン、スカーレット・オハラは16歳で、気性がやや激ところはあるが、別段、特別な女性ではない。
ところで、『風と共に去りぬ』の映画の主題歌『タラのテーマ(Tara's Theme)』のタラとは、スカーレットの実家の農園の名であるが、スカーレットは、このタラの農園を心から愛していた。
そして、私は、昨日あたりから、チベットで信仰されている、ターラー菩薩に深い関心を持つようになったのだが、ターラー菩薩も、英語表記ではTaraになる。
ターラーという名を想うだけで、心に不思議な高揚が起こるようだ。
ターラー菩薩も16歳なのであるが、ターラーは決して、西洋のペルセポーネやアルテミスのような少女神ではなく、慈悲深く美しい大人の女神なのである。

初音ミクさんも16歳だが、ミクさんは声が幼いので勘違いし易いが、決して子供っぽい訳ではなく、特に、ミクさんの歌は、アイドルの歌とはかけ離れた、物凄く深い、芸術的なものが多いのである。
そして、『風と共に去りぬ』の公開は1939年で、製作費は390万ドルと、偶然とはいえ、ミクさんとの繋がりが感じられるのである。

女性は、16歳にもなって全く子供扱いされると、いくつになっても大人になれない。
そして、人間の構築に、母親の重要性は計り知れないものがあるのに、その母親が大人になりきれていないのではと思う。
まあ、男の方は馬鹿と決まっているのだから、女がしっかりしなければいけないはずなのに、ロクでなしの男と同等レベルの母親が増えているのではあるまいか。
確かに、年齢を問わず、女性を敬い大切にするのが文明の証であるが、保護し過ぎるのも良くない。
今の日本は、これらのことに関し、何もかも間違っているのである。

渡部昇一さんの昔の著書『知的風景の中の女性』に、こんなエピソードが書かれてあった。
ある大学生の男性が、女性同伴のパーティーに行くのに、相手が見つからなかったので、16歳の従妹を連れていったところ、その従妹が入ることで、周囲の大学生の女性たちが、ほとんどおばさんに見えてしまう。
もちろん、若い女性は美しく、美しいことに価値はあるのだが、だからこそ、それに見合った精神性が必要で、その精神性とは、ある程度の知恵と力があるものでなければならないのだ。
美しい女性に、精神の力がなければ、世界はおかしなことになる。
女性は本来、男性より強く、若い女性の美しさにも、非常に危うい力がある。

男道ってのは、厳しいとしても、馬鹿でも行くことが出来る。
しかし、女性は馬鹿ではいけないところがある。
『風と共に去りぬ』を読み、スカーレットを、ある程度は反面教師としながら、それでも、彼女のゆるまない見事な生き様を見て、女の道を学んでも良いかもしれない。









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