私の職場には、まるで駄目男としか言いようのない、30歳過ぎの本当に全く駄目な派遣社員がいる。
誰が何の目的で雇ったのか私は知らない(まあ、神が私に見せるためだろう)。
まるで駄目男君は、今は、その日を過ごせば良いのかもしれないが、今後、10年、20年経っても、今の安月給の雑用係でいられるものではないだろう。
しかも、本人はプライドは高く、将来の希望を聞いたら、「高尚な仕事がしたいですねえ」と真面目な顔で言う。
ニコニコしながら平気で、私の後釜になるとか言うので、ぶん殴ってやった・・・と言いたいが、今は、そんな当たり前のことが出来ない世の中だ。
まあ、本当に相手のことを思っていれば、今でも殴ってやるのだろうが、私はそれほど慈悲深くはないし、よく考えたら、殴っても、こいつは駄目だろう。
ちょっと甘い顔をしたら、まるで私の息子か弟か男子生徒・・・いや、実際のところ、娘か妹か女子生徒のような態度で甘え出す。
ある日、まるで駄目男君は出勤してきた時に、私に、険しい顔で、「社員が自分に挨拶してくれない」と訴える。
その時は、「お客さんがいたからじゃないか?」とか、「彼らは忙しかったのだろう?」と言ってやったが、そんな甘やかしは駄目なようだ。
彼は、「いえ、お客さんはいませんでした」、「忙しそうには見えませんでした」と、「口を尖らせて」(甘えん坊口のことだ)と言う。
「こりゃいかん」と思った私は、
「どうして社員がお前に挨拶しないといけないんだ。お前に挨拶して、彼らに何のメリットがあるって言うんだい?」
「相手が社長なら、挨拶しないデメリットは大きいが、お前に挨拶しなくても誰も損をしないじゃないか?」
「まあ、お前が二十歳の可愛い女の子なら、誰もがこぞって挨拶するが、お前じゃあね」
と、いい年をした者なら、自覚して当然のことを、あえて言葉で言ってやった。
それで、まるで駄目男君にも、少しは、良い意味での常識が出来たので、良い指導であったと思うが、こんな細かいことを、いちいち教えている訳にもいかない。しかし、いちいち教えてやらないと、まるで駄目男君は、本当に何も分からない。
また、彼も、そんなことを私に期待しいている・・・つまり、構って欲しいのだろうが、「構って欲しい」と思うようなのは男ではないことは言うまでもない。

まるで駄目男君に、ある良書を百回読むように言い、それがどれほど意義のあることであるかを話してやると、彼はやる気を出し、読み始めた。
しかし、その後の展開は、予想した通りだった。
まるで駄目男君は私に、昨日は何ページ読んだとか、あそこに書いてあったあれは良いと思いますとか、細かく言ってくる。
それに対して応答して欲しい・・・いや、誉めて欲しいのだろう。
せめて高校生までなら、それも良いだろうが、私は、「百回読んだら報告しろ。他は無用」と言いつけた。
それでも、私が、「読んでるか?」、「何回読めた?」とか言うと、彼は「待ってました」とばかり、本の内容の評論を始めたり、昨日はどんな事情で読めなかったかを、やはり事細かに言ってくる。
全く、駄目にもほどがある。
そして、私が相手にならなくなると、「そういえば最近、読んでませんねえ」と他人事のように言う。
この、他人事のように言う・・・つまり、自分の問題と捉えないことが、子供じみた甘ったれた人間の特徴である。
彼は、頭は決して悪くなく、おそらく標準以上だと思う。
しかし、まともな自動車でも、運転手が駄目なら性能を発揮することは出来ない。

それで結局、私は、まるで駄目男君のことは見放した。
彼は一生、このままであり、それはどうしようもない。
それでも、彼が「ゆるまない」ことを身につければ、向上し、人並にはなれるのであるし、世間の人達より「ゆるまない」ようになれば、追い越すことも可能なのである。
まるで駄目男君の欠点というのは、「ゆるみ過ぎている」だけなのだ。
そして、人間の欠点というのは、「ゆるんでいる」ことだけなのである。
まるで駄目男君でも、単に1日中、引き締まった顔をしていれば、それで万事OKなのであるが、それが出来ないことは分かっているので、もう言わない。「殴らずに」指導することは不可能だ。
彼は、それこそ、外国の紛争地帯にでも放り込み、強制的に「ゆるめない」ようにされなければ、もう手遅れであるが、それは非現実的だ(放り込んだその日に殺される)。
彼には、フルコミッション(完全歩合制)のセールスマンになるよう薦めたが、それをすることはないだろう。
もしやったとしても、確かに、月に数百円も稼げないまま辞めるだろう。
今は、彼には、1日1回、「励め」とだけ言っている。

あなたは、1年365日、1日中、瞬時もゆるまずにいるのだ。
今の日本は、我々をゆるませる働きかけが物凄い。
ただでさえ、人間はゆるみ勝ちで、よほどの自覚がないと、ゆるむ方向に行ってしまうものだ。
それなのに、何者かが、我々に、決して心を引き締めさせないよう、恐ろしい策略を行っているかのようだ。
それが、どこかの敵対国からの、現代的な侵略作戦だと分かっても、私は驚かない。それは、普通にあり得ることだ。
その成果を示してくれているのが、まるで駄目男君なのであるから、ある意味、犠牲になってくれた彼には感謝している。
だが、私も誰も、彼を救ってやることは出来ない。
だから、あなたは、片時もゆるんではならない。
起きている間はずっと、引き締まった顔でなければならない。
いや、そうしていれば、眠った顔も引き締まっているものだ。
そして、ずっと引き締まった顔でいるには、志・・・心が指す方向、つまり、目標が必要である。
その目標は、他者から与えられたもの、世間に思い込まされたもの、周囲から押し付けられたもの、自分や家族の得にしかならないもの・・・等では駄目なのだ。
楽や気持ちよさをもたらすものを目標にしてはならない。
志になる目標とは理想なのである。
そして、理想について私に説明してもらわないといけないようだと、もうかなりゆるんでいるのである。
イエスの弟子達が、イエスが何度「起きて祈っておれ」と言っても、すぐ眠ってしまったのは、弟子達に志がなかった、つまり、本当の理想がなかったことの喩えだ。
まずは、眠らない・・・文字通りの眠らないではなく、引き締まった顔をすることから始めても良いと思う。
世間で、引き締まった顔を見ることは、もう稀である。









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