夢想家とか空想家と言ったら、現実的なことが出来ない、馬鹿げた考えに耽る者のことを言うこともあれば、常識に囚われない、豊かな発想力を持つ者のことを言うこともある。
その違いが何か分かるだろうか?
アメリカ最高の賢者ラルフ・ウォルドー・エマーソンが、「想像と空想は違う」と述べているが、何となく分かるような気はするが、はっきりこの意味が分かるだろうか?
妄想は確かに悪いものであるが、空想、想像、あるいは、夢想そのものは良くも悪くもない。
良いか悪いかは、それをする者が、「ゆるんでいる」か、「ゆるんでいない」かで決まる。
エマーソンの言葉を、もっときっちりと言うなら、
「ゆるんだ者の空想は妄想であり、ゆるんでいない者の空想は、創造的な想像」
となる。

心理学者の河合隼雄さんと作家の小川洋子さんの対談書である、『生きるとは、自分の物語をつくること』というベストセラー書籍がある。
河合博士は、精神的な問題を抱えた人に、自分のストーリーを作らせることで優れた効果を出していたのだと思う。
だけどね、物語を作らせたって駄目な人もいたはずなのだ。
その違いも、物語を作る者が、「ゆるんでいる」か、「ゆるんでいない」かによって決まるのである。

「社長が、朝7時半までに出社している会社で倒産した会社はゼロである」という話がある。
おそらく本当だと思う。
しかし、「いや、そんな会社でも倒産しているよ」と言う人もいるだろうし、もしかしたら、その具体例を出せる人もいるかもしれない。
それこそ、「俺は7時前に出社していた社長だったが倒産したぞ」と言う人もいるかもしれない。
朝7時半までに出社してたって、ゆるんだ社長では倒産するのである。
だが、いやしくも経営者なら、7時半までに出社していれば、「ゆるんでいない」可能性が極めて高いので、統計の話ではなく、道理として倒産はないと言って良いのである。
そして、7時半までに出社していたが倒産した社長というのは、その出社にも例外が多かったはずなのだ。
そりゃ、年に数回は、個人的な事情で、どうしても、朝7時半までに出社出来ないこともあるだろう。
しかし、少々の事情なら、死んでも出社するという気構えがなく、月に何日も例外を作る「ゆるんだ」社長なら、倒産して当然である。

ゆるまないためには、心を締める鍵・・・つまり、死んでも守る掟を持つことだ。
掟とは、放埓(勝手きまま)になり易い自分に課した自己制約である。
例えば、朝4時に起床する掟を作り、それを生涯、決して例外を認めずに守るなら、その者はゆるまない人間である可能性が高く、才能や運命に応じた良い成果を上げるだろう。
もちろん、物理世界にいる人間なのであるから、年に数度は例外を認めざるをえない場合もある。しかし、気持ちの上では、「生涯、1日の例外もなく」でなければならない。
実際にどうやるかは自分次第である。
しかし、1日を通してやる掟の方が、心を締め易いと思う。
例えば、岡田虎二郎が言った「常に腹に力を込める」とか、中村天風が言った「常に肛門を引き締める」がそれに当るが、もっと現実的なものの方が良いかもしれない。
私なら、「常に静かな呼吸をする」という掟があるが、これなら取り組み易いかもしれない。
あるいは、本当にずっとのことでなくても、トイレのスリッパや玄関の靴を必ずきちんと揃えてトイレから出る、家に入るなどでも、良い効果がある。
自分の心をずっと観察することを指示する霊的指導者は多いが、それを本当にやれたら、大きな成果があるだろう。
もちろん、複数の掟を持つ場合も多いだろう。
しかし、掟としたからには、全て完璧に守らなくてはならない。
「出来るだけやる」というものも、あるだろうが、それは掟ではない。
掟にまでならないなら、それがどんなに良いものであっても、真の向上、つまり、神に近付くためには役に立たない。
人間には、掟を持つ人間と、掟を持たない人間の2つしかない。
掟とは、生涯に渡って決して例外を認めずに守るものである。
そして、掟を持つ者は少なく、持たない者が圧倒的に多いのである。
だから、この世で勝つことは、本当は易しいのである。









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