心理学に「全能感」という言葉がある。
「自分は何でも出来る」という感覚であるが、その成り立ちについて、岸田秀さんの本で、こんな話を見たことがある。
赤ん坊は、自分は何もせずとも、食べ物(乳)を与えられ、ウンチの始末や、その他一切が、全てなされる。
その中で、赤ん坊は、自分は神のように全能と思い込む。
物心つくようになっても、多くの幼児に対し、両親はじめ、周りの大人達が機嫌を取り、ねんごろに奉仕してくれるので、幼児は、自分は王様のようなものだと思い込む。

ところが、成長し、様々なことをするうちに、手厳しい挫折を味わうと、幼い時の全能感に逃げ込み、何もしないくせに、「僕は偉いんだ。本当は強くて何でも出来る」という態度を取りつつ、現実も分かっているので、恐がって、外の世界との接触を避け、引きこもる。
こうやって、悪い場合は引きこもりになり、そうでなくても、心の中で、「自分は特別な人間である」と思わずにいられない中二病になる。

だが、全能感や中二病は、全く正しい健康的で自然なものである。
ただ、全能感を扱うために必要な知識がないので難儀しているのである。
自動車はもちろん、UFOをぽんともらったところで、扱い方が分からなければ、それらが強力であるがゆえに、困惑や苦悩も大きいのと似ている。

確かに、赤ん坊でなくなれば、親も食事を口まで運んでくれないし、排泄などの世話もしてもらえなくなる。
しかし、心臓は自動的に動き、食べ物は自動的に消化吸収される。
それは、自分の中に、全能たる神の力のカケラがあるのだからだ。
そうでなければ、この身体は、分解し、朽ち果てるだけのはずである。
つまり、自分は相変わらず全能なのだ。
あらゆることにおいて全能な神の力の一部を持っているのである。
ただ、神の力はあまりに強力なので、みだりに発動しないよう安全装置が組み込まれているだけである。
しかし、本当は自分は特別で全能であることを忘れないために、ナルシズムのような感覚が起こり、「自分は特別で大変な人間なのだ」」と思うのだ。
だが、学校という場所は、元々が工場労働者を作るための教育を行うために作られたものなので、そのように、自分を特別と思う者に対して、「そうではない。お前は皆と同じ平凡な人間で、試験の成績や権威への服従度に応じてわずかな特権が与えられるだけだ。だから、我々の言う通りにだけ励め」という教育で矯正される。

しかし、あなたは、中二病を保ち、全能感を信頼しなくてはならない。
ただ、忘れてはならないことは、体制に収まった、世間の教義や信念に平伏す者達も、内に神のカケラを宿し、本当は全能なのであることを忘れてはならない。
そして、内部の神の力に手が届くためには、心を純化させなければならず、そのためには時間がかかるし、苦しみも味わう必要がある。
実に、全能であるはずの自分が、

「僕は無力だ。ガラクタ一つだって救えやしない」
想いは涙に ぽつりぽつりとその頬を濡らす
~『ODDS&ENDS』(作詞・作曲・編曲:ryo、歌:初音ミク)より~

という経験が必要なのである。
必ずしも読書が必要な訳ではないかもしれないが、『ファウスト』、『バガヴァッド・ギーター』、『幻魔大戦』などを、内なる力を取り戻すために読むのは良いことである。









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