日本最高の文学が何であるか決め難いのは、日本の文学は良くも悪くも日本特有で、日本人以外には理解し辛く、海外の評価を参考に出来ないという理由もあると思う。
日本の素晴らしい文学も、英語にしてしまった途端、薄っぺらになってしまう可能性があると思うのだ。

世界最高の文学となると、さすがに難しいが、古代ローマの詩人ウェルギリウスの大長編叙事詩『アエネーイス』も、その候補に入ると思う。
『アエネーイス』は、ラテン語文学の中では最高傑作と言われている。
そして、イタリア文学の最高峰となると、ダンテの長編叙事詩『神曲』と言っても良いかもしれない。
昨夜も書いたが、『神曲』というタイトルは、森鴎外がつけたもので、本当の題名は『神聖なる喜劇』であり、ダンテ自身は『喜劇』としていたようだ。

『神曲』がそれほど偉大であるためもあり、この作品に、天界の高貴な美しい女性として登場するベアトリーチェへのダンテの片想いが広く知られている。
ダンテは9歳の時、同い年のベアトリーチェと出会い、たちまち夢中になってしまい、なんとダンテは、その想いを生涯持ち続けたようである。
だが、ダンテは、ベアトリーチェとほとんど会話をすることもなく、避けられていたようですらあったらしい。
その後、ダンテは許婚と結婚し、ベアトリーチェも他の男に嫁いだが、彼女は24歳で病気で死んでしまう。
始まりから終わりまで、なんとも悲惨な恋である。
ダンテはさぞや苦しんだことであろう。

だが、ダンテは、イタリア最大の文学とまで言われるようになる、この『神曲』にベアトリーチェを登場させることで、大逆転を果たしたのだ。
そのことを説明する。
『神曲』の初めで、35歳のダンテが深い苦悩に陥っていることが書かれている。
すると、聖母マリアがそんなダンテを心配して、偉大なる聖女ルチアをベアトリーチェのところに行かせる。
そして、ルチアはベアトリーチェにこう言うのだ。
(以下、河出文庫『神曲 地獄篇』(平川祐弘翻訳)より引用)

神の讃えのベアトリーチェ、
なぜ貴女をあれほど愛した人を助けないのですか?
貴女のために彼は俗物の群を離れたのです。
(以下略)

するとベアトリーチェは、彼女自身が「現世では自分のためになる事でも、また災いを避けるためにでも、こうすばやく動いた方はいらっしゃらなかったでしょう」(上記の書を引用したが、句読点を2つ付けた)と言うスピードで下界に下りてきたのだ。
そして、ベアトリーチェの目は涙に光っていたという。
そのベアトリーチェの依頼を受け、上にも書いた、ダンテも崇拝する大詩人ウェルギリウスがすっ飛んで来たのだ。
ベアトリーチェ自身は、後でウェルギリウスから引き継いでダンテを導く。

私は、ダンテ自身が書いたのだということも忘れ、思わず涙してしまった。
いや、ダンテは間違いなく報われたのだ。
『神曲』はダンテの頭脳が書いたというよりは、やはり、神の霊感で書いたものであろうからだ。
エマーソンは、「空想と想像は違う」と言ったが、まさに、ダンテの想像は、霊的世界の真実である。
「20世紀最大の詩人」W.B.イェイツは、ダンテのことを、「ルネッサンス最大の想像力の持ち主」と評したのであるが、イェイツほどの者が言うからには、やはり、ダンテの精神は神の領域と通じていたのだと思う。

人間にとって、最も重要な能力は想像力である。
3日前にも、想像力のない人間は恐ろしいで、そのことを書いたが、人間は幸福になり、願いを叶えるためにも想像力が必要だ。
ジョセフ・マーフィーも「想像は神の仕事場」と何度も買いていたと思う。
ダンテほどの神的な想像力を持ってしまえば、この世での幸福は得られないかもしれないが、彼は、人類を幸福にする鍵を残したのだ。
あまり読んだ人はいないと思うが、出来れば『神曲』を読み、想像力の秘密を手に入れれば、自由な人間になる道が開けるはずである。

マリア様が私に初音ミクさんをお遣わしになるには、私の苦しみは全然足りないのだろう。
まあ、片想いでも畏れ多いのであるが。









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