私は、子供の時、初めて、性善説・性悪説の話を本で見た時、面白さに惹きつけられた。
なるほど、見方によって、人間の本性は善にも悪にも思える。
例えば、八百屋で、それぞれの野菜の値段を紙に書いて表示し、開いた箱の前に、「お金はここに入れて下さい」と書いておいて、店をそのまま放置したらどうなるだろう?
性善説が正しいなら、皆が、お金を入れて野菜を持っていくが、性悪説が正しいなら、お金を入れなかったり、他の人が入れたお金まで持っていく者もいるだろう。
しかし、言うまでもなく、こんなことで、人間の本性が善か悪かは分からない。
私は、7歳くらいの時は、溺れている子供がいたら、助けられるなら助けるのが人間だと思ったので、一応、性善説を選択した。
人間の本性は善だろうか?
それとも悪だろうか?
人間の定める善や悪の基準でいうなら、どちらでもない。
溺れている子供を見たら助けようと思うのは、人間の本性が善だからではなく、想像力の問題だ。
自分を溺れている子供の立場に置く想像力、溺れている子供の親などの立場に自分を置く想像力があれば、助けずにいるのはいたたまれない(我慢出来ない)ので助けようとするのである。
もし、溺れている子供を見ても何とも思わず、助けようとしないのは、その人が悪いのではなく、想像力が欠如しているのである。
今の学校の勉強は、想像力を全く鍛えないので、想像力のない人間が増えてしまっている。
アインシュタインは、自分が光と一緒に飛んだらどんなふうだろうと想像したのだが、学校でそんな勉強をやったりしない。
そんな勉強には点数がつけられないからだ。
だが、想像力がない人間は恐ろしいのである。
私は常日頃、スマートフォンを見ながら歩いていたり、まして、タバコを吸いながら歩いている人を、会社などで絶対に採用してはならないと言っている。
というのは、そんなことが出来る人間というのは、想像力が著しく欠けているからだ。
スマートフォンを見ながら歩いていたら、どれだけ他人に迷惑をかけ、また、自分も危険であるかという簡単なことすら想像出来ないのである。
そんな人間が仕事をする時、お客さんの立場を想像したり、自分の行為が周囲にどんな影響を与えるか想像せずに行動するのである。
そんな恐ろしい人間を雇える者の気が知れないが、実際、そのような人間が働いているので、トラブルが起こり、客も同僚も上司も部下も酷い目に遭い、会社の評判はがた落ちになるのである。
プロレスラーというのは、想像力と強い理性のいる仕事だなあとつくづく思う。
プロレス最大の必殺技はパイルドライバーだという話があるが、当らずといえども遠からずと思う。
ちょっとプロレスに詳しい人なら、パイルドライバーと聞けば、相手の頭を股に挟み、マットに打ちつける技を想像するかもしれないが、本当のパイルドライバーとは、抱え上げた相手を、頭からマットに叩きつけるものだそうだ。
本当のパイルドライバーは危険極まりなく、技をやられた相手は首を折って死んだり、半身不随になる可能性が高い。
昔、ニューヨークの大スターレスラーだったブルーノ・サンマルチノと売り出し中の若いパワーファイターだったスタン・ハンセンとの試合で、ハンセンがボディスラム(抱え投げ)でサンマルチノを投げる際、手が滑ってしまい、サンマルチノを頭からマットに落とし、サンマルチノは首を折ってしまった。
そんな事故が起きないよう、プロレスの試合では、よくよく気をつけてやっているはずだ。
しかし、そういった良識的な考え方による動きによって、普通の人にはプロレスが八百長に見えてしまうのだろう。
そして、危ないレスラーとは、想像力のないレスラーだ。
「こんなことをやったら危険だ」という想像力が働かないので、対戦相手に大怪我させたり、下手したら殺してしまうからだ。
有名なあるプロレスラーが、「何も考えていないやつは本当に恐い」と言っていたが、普段は想像力が働くレスラーでも、興奮したり、切羽詰って想像力が働かなくなることがあるのだろう。
だから、プロレスラーは、常に、ある程度の平静さを保てる強い理性が必要なはずなのだ。
我々は、点取り勉強ばかりしていないで、想像力を鍛えなければならない。
そして、想像力を鍛えれば、トラブルを避けられるだけでなく、優秀になるし、願いも叶えられる。
逆に言えば、想像力が低ければ、簡単なことでも失敗し、願いが叶わないどころか、正しい願望も持てない。
正しい願望を持つことが出来なければ、食欲と性欲だけの人間になってしまう。
だから、スマートフォンを見ながら歩いていたり、タバコを吸いながら歩いている人は、食欲と性欲だけの人間なので、近寄ってはならず、まして、職場に採用など、決してしてはならない。
想像力を鍛えるためには、チームスポーツをやることは極めて有効なのは分かると思う。
想像力を発揮しながらでないと、良いプレイが出来ないからだ。
スポーツに限らず、共同作業を真面目にやることが、想像力を鍛える良い方法なのだが、今の子供達は、想像力がないと失敗して痛い目に遭うようなことを、ほとんどやっていない。
だから、歩きスマホや歩きタバコを平気でやる、極端に想像力のない人間が出来てしまうのである。
優れた小説を読むこともまた、想像力を鍛えるし、これは、もっと楽に想像が出来る「絵つきのもの」、つまり、映画、漫画、アニメを上回る。
だが、小説を読んでも、身体で学ぶほどには根本的な想像力が身に付かない。
私が仕事でのチームプレイが苦手なのは、やはり、子供の時に、身体を使うことで十分に想像力を鍛えていなかったので、最も基礎的な想像力に欠けているのだろう。
私は、外で、友達と身体を使って遊んだことがほとんどない。
だが、歪(いびつ)かもしれないが、出来る範囲のことで想像力を伸ばしたので、楽して良い思いが出来るくらいにはなれたのだ。
コンビニで、レジで支払いを終えた後、後ろに人が並んでいるのに、その場で商品の箱を開けて食べ始める人の話を本で見たことがある。
それは、普通のOLさんだったらしい。
著者は、このOLさんは、自分を客観視する能力がないと書いていたが、客観視といった応用能力ではなく、根本的な想像力が極端に欠けているのである。
私の職場の、まるで駄目男君も、あまりに想像力がなく、自分の言うこと、やることが周囲にどんな影響を与え、どう思われるかが全く想像出来ないのである。
こういった者達は、形は人間であるが、知性に関しては牛や豚と変わらないのである。
想像力を鍛えるには、福永武彦さんのリズムのある優れた文章で書かれた『古事記』を読むことをお奨めする。この本の電子書籍も出来たので有り難いと思う。
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なるほど、見方によって、人間の本性は善にも悪にも思える。
例えば、八百屋で、それぞれの野菜の値段を紙に書いて表示し、開いた箱の前に、「お金はここに入れて下さい」と書いておいて、店をそのまま放置したらどうなるだろう?
性善説が正しいなら、皆が、お金を入れて野菜を持っていくが、性悪説が正しいなら、お金を入れなかったり、他の人が入れたお金まで持っていく者もいるだろう。
しかし、言うまでもなく、こんなことで、人間の本性が善か悪かは分からない。
私は、7歳くらいの時は、溺れている子供がいたら、助けられるなら助けるのが人間だと思ったので、一応、性善説を選択した。
人間の本性は善だろうか?
それとも悪だろうか?
人間の定める善や悪の基準でいうなら、どちらでもない。
溺れている子供を見たら助けようと思うのは、人間の本性が善だからではなく、想像力の問題だ。
自分を溺れている子供の立場に置く想像力、溺れている子供の親などの立場に自分を置く想像力があれば、助けずにいるのはいたたまれない(我慢出来ない)ので助けようとするのである。
もし、溺れている子供を見ても何とも思わず、助けようとしないのは、その人が悪いのではなく、想像力が欠如しているのである。
今の学校の勉強は、想像力を全く鍛えないので、想像力のない人間が増えてしまっている。
アインシュタインは、自分が光と一緒に飛んだらどんなふうだろうと想像したのだが、学校でそんな勉強をやったりしない。
そんな勉強には点数がつけられないからだ。
だが、想像力がない人間は恐ろしいのである。
私は常日頃、スマートフォンを見ながら歩いていたり、まして、タバコを吸いながら歩いている人を、会社などで絶対に採用してはならないと言っている。
というのは、そんなことが出来る人間というのは、想像力が著しく欠けているからだ。
スマートフォンを見ながら歩いていたら、どれだけ他人に迷惑をかけ、また、自分も危険であるかという簡単なことすら想像出来ないのである。
そんな人間が仕事をする時、お客さんの立場を想像したり、自分の行為が周囲にどんな影響を与えるか想像せずに行動するのである。
そんな恐ろしい人間を雇える者の気が知れないが、実際、そのような人間が働いているので、トラブルが起こり、客も同僚も上司も部下も酷い目に遭い、会社の評判はがた落ちになるのである。
プロレスラーというのは、想像力と強い理性のいる仕事だなあとつくづく思う。
プロレス最大の必殺技はパイルドライバーだという話があるが、当らずといえども遠からずと思う。
ちょっとプロレスに詳しい人なら、パイルドライバーと聞けば、相手の頭を股に挟み、マットに打ちつける技を想像するかもしれないが、本当のパイルドライバーとは、抱え上げた相手を、頭からマットに叩きつけるものだそうだ。
本当のパイルドライバーは危険極まりなく、技をやられた相手は首を折って死んだり、半身不随になる可能性が高い。
昔、ニューヨークの大スターレスラーだったブルーノ・サンマルチノと売り出し中の若いパワーファイターだったスタン・ハンセンとの試合で、ハンセンがボディスラム(抱え投げ)でサンマルチノを投げる際、手が滑ってしまい、サンマルチノを頭からマットに落とし、サンマルチノは首を折ってしまった。
そんな事故が起きないよう、プロレスの試合では、よくよく気をつけてやっているはずだ。
しかし、そういった良識的な考え方による動きによって、普通の人にはプロレスが八百長に見えてしまうのだろう。
そして、危ないレスラーとは、想像力のないレスラーだ。
「こんなことをやったら危険だ」という想像力が働かないので、対戦相手に大怪我させたり、下手したら殺してしまうからだ。
有名なあるプロレスラーが、「何も考えていないやつは本当に恐い」と言っていたが、普段は想像力が働くレスラーでも、興奮したり、切羽詰って想像力が働かなくなることがあるのだろう。
だから、プロレスラーは、常に、ある程度の平静さを保てる強い理性が必要なはずなのだ。
我々は、点取り勉強ばかりしていないで、想像力を鍛えなければならない。
そして、想像力を鍛えれば、トラブルを避けられるだけでなく、優秀になるし、願いも叶えられる。
逆に言えば、想像力が低ければ、簡単なことでも失敗し、願いが叶わないどころか、正しい願望も持てない。
正しい願望を持つことが出来なければ、食欲と性欲だけの人間になってしまう。
だから、スマートフォンを見ながら歩いていたり、タバコを吸いながら歩いている人は、食欲と性欲だけの人間なので、近寄ってはならず、まして、職場に採用など、決してしてはならない。
想像力を鍛えるためには、チームスポーツをやることは極めて有効なのは分かると思う。
想像力を発揮しながらでないと、良いプレイが出来ないからだ。
スポーツに限らず、共同作業を真面目にやることが、想像力を鍛える良い方法なのだが、今の子供達は、想像力がないと失敗して痛い目に遭うようなことを、ほとんどやっていない。
だから、歩きスマホや歩きタバコを平気でやる、極端に想像力のない人間が出来てしまうのである。
優れた小説を読むこともまた、想像力を鍛えるし、これは、もっと楽に想像が出来る「絵つきのもの」、つまり、映画、漫画、アニメを上回る。
だが、小説を読んでも、身体で学ぶほどには根本的な想像力が身に付かない。
私が仕事でのチームプレイが苦手なのは、やはり、子供の時に、身体を使うことで十分に想像力を鍛えていなかったので、最も基礎的な想像力に欠けているのだろう。
私は、外で、友達と身体を使って遊んだことがほとんどない。
だが、歪(いびつ)かもしれないが、出来る範囲のことで想像力を伸ばしたので、楽して良い思いが出来るくらいにはなれたのだ。
コンビニで、レジで支払いを終えた後、後ろに人が並んでいるのに、その場で商品の箱を開けて食べ始める人の話を本で見たことがある。
それは、普通のOLさんだったらしい。
著者は、このOLさんは、自分を客観視する能力がないと書いていたが、客観視といった応用能力ではなく、根本的な想像力が極端に欠けているのである。
私の職場の、まるで駄目男君も、あまりに想像力がなく、自分の言うこと、やることが周囲にどんな影響を与え、どう思われるかが全く想像出来ないのである。
こういった者達は、形は人間であるが、知性に関しては牛や豚と変わらないのである。
想像力を鍛えるには、福永武彦さんのリズムのある優れた文章で書かれた『古事記』を読むことをお奨めする。この本の電子書籍も出来たので有り難いと思う。
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