「コンピュータープログラミングは誰でも出来る」、「作曲は誰でも出来る」、「絵は誰でも描ける」・・・等といった、「○○は誰でも出来る」という言葉をよく見たり聞いたりすると思う。
そして、その言い方には、「今すぐ誰でも」とか、それに近いニュアンスで語られることも多いが、それははっきり、詐欺というものだろう。
実際、詐欺的セールスや、詭弁的な説得でよく使われる言い方である。

「誰でも出来る」は、多くの場合、間違いや嘘ではない。
ただし、ほとんどの場合、条件があり、それは、「熱心に長時間の努力を多年月続ければ」である。
そして、補足として、「そこそこのレベルなら」という但し書きも必要だろう。
誰もがプロになれる訳では決してない。

ところで、「プログラミングは現代人の必須のスキルだから、誰もが習得すべきだ」といったことが、物凄く偉い教育者にして博士で世界的有名大学の教授だという人や、アメリカのcode.orgというNPO団体に賛同する超有名人や、はては、アメリカ大統領も言ってるぞという話があるかと思うと、イギリスのある大学の教授と学生によって書かれた論文では、コンピューターサイエンスを専攻する優秀な大学生でも30%はプログラミングがマスター出来ないなんて話もある。
これも、別におかしな話ではない。
確かに、コンピュータープログラミングは誰でもできる。
ただし、どれだけのレベルで出来るかは、かけた時間と熱意による。
もちろん、個人差があるが、ほとんどの場合、ちょろっとやっただけなら、何の役にも立たないプログラミングをちょろっと出来るようになるだけで、しかも、学習を継続しなければ、すぐに忘れる。
まして、まともなプロになれる人は、ほんの一部だ(まともでない職業プログラマも多いのだ)。
上にも述べたように、コンピューターサイエンスを専攻した大学生の30%がプログラミングをマスター出来ないということについて言えば、別に、コンピューターサイエンスを専攻したからといって、全員がプログラミングに興味がある訳ではない。彼らがプログラミングを習得出来ないなら、やはり、熱心な長時間の努力をしなかったというだけのことだ。

DTM(デスクトップミュージック)という、パソコンで音楽ソフトを使った音楽制作が安価に出来るようになり、実際に、そのために音楽制作に取り組む人が増えたと思う。
さらには、初音ミクさんの登場で、自分が作った歌を、可愛い女の子が歌ってくれるようになって、音楽デモクラシーが起こり、確かに、音楽制作は、一部の特別に才能のある人や、恵まれた環境(親に楽器を買ってもらえ、音楽教室に通わされた等)にある人だけのものではなくなったかもしれない。
しかし、ちゃんとした曲を作れるようになるには、長い、そして、実際には苦しいことも多い、修行というべきものが必要である。修行という言い方が好きでなければ、「熱意ある取り組み」だの「やる気を伴った練習」だのと言っても良いが、所詮は、かなりの努力を要する。
アマチュアでありながら、初音ミクさんの素晴らしい曲を作る人がかなり出てきて、プロと遜色ないとか、あるいは、「プロには作れない」とすら思える作品も沢山あるが、これらの曲の制作者達は、やはり、子供の頃から楽器を習っていたり、学生の、それも、かなり早い時期からバンド活動をしていたりといった人達で、現役でライブ活動をしている人も少なくはない。
確かに、初音ミクさんに歌ってもらえることで才能を開花させた人もいると思うが、それはあくまで、長い下積みあってのことだ。

スマートフォンは誰でも使えると言うのでさえ、一定レベル以上のことをやるには努力が必要である。
一方、スマートフォンを全く使えないという人もいるのだろうが、それは単に、スマートフォンを使うことに時間をかけていないだけである。
パソコンは誰でも出来るが、会社等では、どうしても出来なければ仕事にならないという切羽詰った状況があるから誰でも出来るようになるのであり、パソコンを使う必要がない人がパソコンに興味も持てなければ使えるようにはならないだろう。
また、「パソコンが出来る」というのはピンきりであり、普通にいう「パソコンが出来る」は、パソコンの可能性から考えれば、極めて初歩的レベルである。
車の運転は、教習所に高い金を払うからこそ、かなりの短期間で習得出来るが、車の運転のような簡単なことですら、最初は誰でも、「俺、本当に運転なんて出来るようになるのだろか?」と思うほど難しいということを考えれば、音楽や絵やプログラミングといったものを出来るようになるとはどういうことか、いくらか想像出来ると思う。

願いを叶える潜在意識の法則や引き寄せの法則の活用、あるいは、斎藤一人さんや西田文郎さんらが教える「ツキの法則」の活用という、幸運に乗って儲かったりモテたりする技術の使い方が、どのくらいのレベルの難しさかは分からないが、少なくとも、車の運転とは比較にならない難しさと考えるべきだろう。
何と言っても、その恩恵、有難さたるや、車の運転、音楽、絵画、プログラミングの比ではないのだから。
それを、努力なし、苦しむことなしで得ようとするから、滑稽で間抜けなことになるのである。
まして、神のようになるには、ゲーテの『ファウスト』のファウストのように、長い年月、たゆまぬ努力を重ね、失望や落胆を味わっても道は遠い。
しかし、遠い道ほど価値があり、進歩する喜びも大きいのである。
引き寄せや、ツキの法則も、本当に使えるようにマスターするには努力が必要だから面白いと考えた方が良いと思う。









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