『バガヴァッド・ギーター』で、神クリシュナは、仕事は義務として行い、結果に一切執着するなと言い、仕事以外のことでも、たまたま喜びに遭えば喜べば良いが、それ(喜び)を求めるなと教えていると思う。
つまり、物質世界の欲望の一切を放棄することを、アルジュナ王子に、そして、人類全てに説いている訳だ。
仏教でも、『ダンマパダ(法句経)』や『スッタニパータ』といった、原始仏教(古い時代の仏教)の経典には、やはり、そのようなことが説かれているのだと思う。
『バガヴァッド・ギーター』を体現したような聖者だったラマナ・マハルシや、ニサルガダッタ・マハラジも、人間的な欲望を徹底して否定しているように思う。

それらの教えは、それはそれで、非常に高貴なもので、私は好きでもある。
しかし、実際には、そのようなことは非常に難しいし、それに、果たしてそれが良いのかどうかも疑問がある。
早い話が、人間には、見栄も欲も・・・たとえそれが、かなり低劣なものであっても、やはり必要なのだ。

ある70歳過ぎの年配のご婦人が入院した時、自分の娘さんに、本を持ってくるよう言いつけた。
娘さんが、軽い内容の本、面白い本を選んで持っていくと、そんな本では駄目で、文学作品、ことに、ロシア文学の名を挙げて、持ってこさせた。
そして、病院のベッドの上で、1日中、熱心に読んでいた。
「難しい本を読むのですねえ」と感心する看護師さんや、他の患者さん達に、その年配のご婦人は、
「読みたいのですけど、家では時間がなくて長い間読んでいませんでしたが、入院してやっと読めます」
と悠然と微笑んで言った。
しかし、そのご婦人は、忙しいも何も、仕事をしている訳ではなく、家では、1日中、テレビを見ていて、芸能ネタは知らないことがないほど詳しく、また、韓国ドラマは欠かさずに見ていた。
早い話が、彼女は恐ろしいまでの見栄っ張りなのである。
しかし、たとえ見栄でも、入院中には、何冊かの「高尚な」文学作品を読んだのだし、若い頃も、見栄のために、それなりに名作を読み、多少の知識はあった。
それは必ずしも悪いことではないだろう。

また、ある会社にいた40代の、100Kg以上の肥満した男性が、ある時、不意に30Kgものダイエットをした。
本人は、さりげなく「自己管理をすると決心したのですよ」と言い、周囲の人達も、驚嘆しつつ、そうなのだと思っていた。
しかし、実は、彼がダイエットしたのは、メタボ検診が始まる少し前のことで、そんなものに引っかかってしまったことが、社内の、特に、若い女性にバレる屈辱に耐えられなかったというのが、ダイエット成功の原動力だった。
つまり、彼もやっぱり、相当な見栄っ張りなのだ。
だが、それでも、ダイエットに成功したのであるから、見栄も良いものと言って良いはずだ。

私も昔、ある年の12月から、翌年5月末までの間、年末年始、ゴールデンウィークなど一切関係なく、毎日7時半に会社に来て、深夜0時まで働いた。
当時は、自分は、立派な志や向上心のためにがんばっているつもりだったが、今考えると、明らかに、実力をつけて優越感を持ちたいとか、あわよくば成功したいという、全くの個人的欲望のためだった。
とはいえ、確かにそれで、プログラマーとしてそれなりの実力はついたし、ほんの僅かにしろ、志なんてものもあったのではないかと思う。
そして、利己的な欲望がなければ、今のなけなしの実力も持てなかったはずなのだ。

そんなこともあり、私は常に、「人間なんて大したものではない」と思い、また、公言している。
もちろん、これはあくまで、「全く、全然大したものではない」最低の人間である私(謙遜は一切ない)視点の考え方であり、実際には立派な人もいるのかもしれないが、私は、立派な人間というものを空想すら出来ないので、そんな素晴らしい人間は、この世に存在しないと決め付けている。
それがたとえ、ガンジーやマザー・テレサでも例外ではないが、クリシュナムルティもガンジーは最低だといったようなことを言っていたと思う。

「確かに、若いうちは欲も必要だねえ」
なんて気取ったことを言うやつなど、私は信用しない。
死の間際まで欲望に塗(まみ)れ、自らを「不良老人」と称し、ノーベル文学賞を取った素晴らしい才能を有効活用した殺し文句で、老人になっても美少女を口説くことに余念がなかった、「20世紀最大の詩人」ウィリアム・バトラー・イェイツこそ・・・まあ、少しも立派ではないが、正直者なのである。

私はたびたび、職場の、まるで駄目男君に厳しく説教するが、彼に、
「いつも気にかけていただいてありがとうございます」
と言われたら、
「何言ってんの?俺はお前のことなんか、ちっとも気にかけている訳じゃない。目障りにならないよう、俺の個人的な思想、主義を押し付けているだけだ」
とストレートに言ってやっている。
それでも、甘ったれた、まるで駄目男君は、私が何か、自分を指導し、向上させようと思っていると大誤解しているようだ。
まあ、それはそれで彼の幸せかもしれないが、私は迷惑である。

『老子』の39章、および、42章には、古(いにしえ)の王達は、自分のことを、不穀者(不全者)・・・つまり、悪いやつ、ロクデナシと自称したそうだが、私は、心から自分のことを、そう称しよう。
実際、私は、自分ほど悪いヤツを見たことがない。
私は、初音ミクさんだけは、最大の畏敬の念を持って崇めるが、他の女性は邪まな目で見るので、寄ってこないことをお勧めする。
しかし、それを認めるからこそ、ミクさんへの崇拝の気持ちがはっきりし、さらに、高まるばかりなのである。
今、昨年の、初音ミクさんの武道館公演『マジカルミライ2015』のブルーレイが届いた。
今夜は、マジカルミライ2015でフィーバーだ。
お金がない人は、親にもらってでも買うように(DVDもある)。
一緒に注文しておいた、『初音ミクpiaproカレンダー』には、ミクさんの絵が描かれたボールペンがついていた。これは私の宝物になるだろう。
どうやら私は、不穀者(ロクデナシ)だけでなく、阿呆であるようだ。
黒住宗忠のように、阿呆になる修行に励むまでもない。この点だけは、宗忠に勝っているのである。









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