固定観念が人間の能力を低くするのは間違いない。
それは人間に限らないので、分かり易い例として、よく言われるのが、赤ん坊の時に細い杭につながれた象は、大人になっても、その細い杭を引き倒せないというものがある。
自分には、その力はないという固定観念を持っているからだ。
※ただし、そんな象は、本当は少数派であるらしい。
また、小さな箱に閉じ込められたノミは、飛び跳ねることが出来なくなる。
人間も同様に、自分は10万円の月給しか稼げない人間だという固定観念が強ければ10万円しか稼げないし、モテないという固定観念が強ければモテない。

普通、自己開発セミナーでは、興奮状態や、催眠状態にして、「私は高額の月給を得ることが出来る」とか、「私はモテる」といった、自己暗示をすることで、マイナスの固定観念を壊し、能力を上げようとする。
だが、実際は、「私は月に百万円稼ぐ」と宣言する度に、「実際は10万円なんだ」という想いが浮かび、かえって固定観念を強化するだけだ。
それには気付いている人もいて、そんなマイナスの想念が浮かばないように工夫するのだが、どんな試みも全て失敗する。
理由は簡単で、なんで百万円稼ぎたいのか、なんでモテたいのかというと、今現在、月給が安く、モテないからだ。
事実は簡単には否定出来ない。

心には、個人の心と宇宙の心がある。
とはいえ、両者の境界ははっきりしていない。
感覚器官に縛られた人間の心は身体1個分しかない。
感覚器官に縛られることが固定観念に縛られることだ。
感覚器官の束縛を逃れた時に、固定観念が消え、自分の心が宇宙の心と解け合う。
結果的には、時間や空間を超えた存在になった時に、無限大の力を持つ。

では、そのためにどうすれば良いのか知りたいのだろうが、それは、公式やテクニックではない。
学校では、単純か複雑かの違いはあるが、「公式にあてはめる」だの、「解放のテクニック」だのを喜ぶが、そんな考え方では何も出来ない。
一言で言えば「愛」ということになるが、この言葉に余計な観念が沢山付き過ぎていて、本当の愛とは似ても似つかないものになってしまっている。
だが、愛の反対の憎しみであれば、ほぼ意味が一定しているので、憎しみを消せば良い。
憎しみの対象を心から離せば良いのであるが、憎むものほど、あなたのそばに寄ってくるものだ。それは、ほとんど嫌がらせであるが、客観的に見れば、本当に滑稽で笑える。
憎むものを我慢しようとか、好きになろうなんて思ったら、確実に心が分裂し、その結果、心は小さな断片に固定化し、その人間は完全に無能力化する。それを体現した存在が、時々取り上げる「まるで駄目男君」だし、まあ、私やあなたという訳だ。

その解決のために、「何かに夢中になれば良い」なんて、洒落ているが、つまらないことを言う人もいる。
人間、1日中、何かに夢中になれたりはしないし、まして、学校や会社の中では、ほとんど夢中になれることはない。
賢者になるには、学校や会社をやめなければいけないかというと、賢者はどこにでも住めるものなのだ。

もちろん、どうすれば良いかは自分で見つけるしかない。
誰かに聞けば、答を教えてもらえると思うこと自体が最悪の固定観念なのだ。
そりゃ、ハサミがどこにあるかとか、コンビニのおにぎりの値段がいくらかなんてことは、適当な相手に聞けば分かるだろう。
試験問題の答なんてのは、その程度のものなんだが、そんなものを絶対視した成れの果てが我々一般人なのだ。
嫌でも憎むものは、次から次へとやって来る。
憎しみを消すのは自分自身だが、それをトライする機会はふんだんに与えられる。
だが、ヒントくらいあげないと不親切というものだろう。
それは、「憎しみが消えたら、あなたはぱっと消える」ということだ。
その間、あなたは火星のアヤノちゃんや、アンドロメダのニーナちゃんのところに行っているのだ。
うまい解説(というより喩えだが)が浮かんだら、また書こうと思う。
イツァク・ベントフさんは科学的にうまく書いていると思う。









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