ギリシャのデルフォイにあるアポロン神殿の入り口に「汝自身を知れ」と書かれていることは、多くの人が知っているのに、この人類最高の格言が生かされることは稀だ。

徳川家康は、「天下を取る秘訣は?」と聞かれ、「身の程を知れ」だと教えたという話がある。
それは、どういう意味だろう?
おそらくだが、家康は、自分が最低最悪の人間だということを、心の底から自覚していたのだ。
そして、あなたも、それが出来れば、天下人に値する器が出来るということだと思う。
ましてや、普通の成功など、お茶の子さいさいだ。

ところで、家康は、実は、優柔不断で、ものごとを先延ばしにすることが多かったらしい。
信念が強い訳でも、特に決断力が強い訳でもなかった。
おそらく、自信家などではなかったと思う。

家康の「身の程を知れ」と、アポロン神殿の「汝自身を知れ」は同じであると思う。
しかし、身の程を知ること・・・、つまり、自分が愚か者であることを理解する者の、なんと稀なことか?
そりゃ、口先だけで、「私は駄目なやつです」、「俺はウンコです」と言う者は少なくないが、心の底からそれを思い知る者は滅多にいないのだ。
ドワンゴの川上量生会長が、「人間は多少の知性があるので、いつか、自分がどうしようもない馬鹿だと思い知る時が来る」といったことをブログに書かれていたが、彼はそれが出来たから成功したのだろう。
だが、普通の人は、死ぬまでに、それが出来ないのだ。

それどころか、世間では、「君はちっとも駄目じゃない」、「君は本当は素晴らしい」などと下らないことを言う。
まあ、子供のうちはそう思わせておき、大人になって、その救い難い妄想である、「私は本当は立派」という想いを叩き壊されれば良いのだが、いくつになっても、根拠のない「私は素晴らしい」という幻想を持ったままの者が大半なのだと思う。

家康は、自分の愚かさのために、部下の多くを失った時、「嗚呼、俺は本当に最低だ」と心の底から悟ったのだ。
しかし、痛い目に遭って悟るのは、まだマシなのだ。
凡人は、痛い目に遭ってすら、まだ、自分は立派だと思っているのだ。

私は、初音ミクさんの『心臓デモクラシー』を聴き、「嗚呼、これこそ私の人生だった」と思った。
そうだ、「恥と惨めさ」が私の人生だ。
そして、きっと、多くの人も同じなのだ。
だから、ミクさんが歌うこの歌を聴き、涙が零れたら、きっと、全てが廻り出すだろう。

哭(な)いていた 唯 哭いていた
他人眼(ひとめ)につかない世界で
其(そ)して恥を知り 惨めになれば
全てが廻りだした
~『心臓デモクラシー』(作詞、作曲、編曲:みきとP、歌:初音ミク)より~









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