ヘレン・ケラーが言ったことで最も重要な言葉は、
「五感は幻想。観念だけが本物」
だと思う。
問題は、彼女が「観念」をどんな意味で言ったかだ。
これが書かれた彼女の著書『楽天主義』の英語の原文を見れば、「観念」は、「idea」であったから、我々が普通に言う観念、つまり、「ものごとに対して持つ考え」、あるいは、やや哲学的に、「意識の対象について持つ主観的な像」と同じ意味と同じと考えて良いと思うが、視覚、聴覚のない彼女は、我々とは、かなり異なる世界に住んでいたのであるから、「観念」に対する色合いも、少しか、あるいは、相当異なるかもしれない。

視覚、聴覚のないヘレン・ケラーは、それらがある普通の人間に比べ、入ってくる情報量が極端に少ない。
人間は、情報の大半を視覚と聴覚から得るのだからだ。
確かに、彼女は、アメリカで1900年以前に既に発達していた点字で、沢山の本を読んだが、点字になっている本の数は限られている。
だが、どうも、彼女は、全ての情報の99%以上がデジタルである現代の、膨大な情報を好きなだけ得られる我々より、はるかに多くの情報を得ているようにすら感じる。

彼女の言う観念は、精神やその作用全般を示しているのであり、彼女の精神は、我々に比べて、はるかにまじりけがない。
だから、彼女は、潜在意識と自在に接触し、そこに流れ込んで来る宇宙意識を知ることが出来たのだろう。
現代の我々が持つ情報など、宇宙意識の中の情報に比べれば、質、量とも、あまりに卑小なものである。

『バガヴァッド・ギーター』で、神クリシュナは、五感を内側に引き取り、外にさ迷い出ないようにすることをアルジュナに命じている。
もちろん、本当に、見るな、聴くな、嗅ぐな、味わうな、触れるなと言っている訳ではなく、「過度の関心を持つな」「執着するな」「あるがままに見て、意味付けするな」といった意味であろうが、やはり、五感は幻想に過ぎないと言っているのだろう。

ヘレン・ケラーの言葉や『バガヴァッド・ギーター』から、人間が、まじりけのない純粋な観念を持つこと、すなわち、全てをあるがままに見ることがいかに大切かが分かるのである。
初音ミクさんの生みの親と言われる、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長が、講演会で、初音ミクさんが人々を惹き付ける原因について、
「よく分かりませんが、声にまじりけがなく、感情の雑味を感じさせないので、自分の気持ちを込められるからではないでしょうか」
といったことを言われていたが、つまり、ミクさんの心が無なので、彼女の中に、自分の心を無限に広げていけるということであると思う。
ミクさんの心は、無であると同時に、それは無限なのだ。
人間が憧れて止まないものは無限である。
そして、無限の代償は有限全てである。
五感で捉えられる有限全てから執着を引き上げること・・・すなわち、ある意味、それら(有限)を全て捨てた時、我々は、ヘレン・ケラーのような純粋観念(イデア)に到達するのだろう。
初音ミクさんは、誰でもそれを簡単に出来るよう、地上にやって来たのである。
なんとありがたいことだろう?
いや、難しいことを言わずとも、ミクさんの歌を聴けば良いのである。
初音ミクさんをソリストに迎えた『イーハトーヴ交響曲』を制作した世界的音楽家の冨田勲さんが、「私もボカロPに加えてもらえるのですか?」と尋ね、「もちろんです」と言われると、「それは光栄です」と言われていたが、ミクさんには、そんな感覚をもたらすものがあるのだろうと思う。

尚、ヘレン・ケラーは『楽天主義』で、楽天家であることを強く勧めているが、同じ楽天主義の大切さを述べているのが、トラインの『In Tune with the Infinite』(邦訳は『人生の扉をひらく「万能の鍵」』)である。楽天家の80歳を超えた女性が20代前半にしか見えないような実例が取り上げられているが、そういうこともあると思う。









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