岡本太郎は、縄文式土器を初めて見た時、驚愕したという。
現代人には、こんな凄いものは絶対に創れないと言う。
岡本太郎は、人類はちっとも進歩なんかしていない、退化していると気付いたのだ。

岡本太郎が、縄文式土器の何にそんなに驚いたのかというと、その豊かな空間感覚だ。
つまり、現代人が二次元的に考えるのに対し、縄文人は三次元以上で考えていたのだ。

現代人は、何を見ても平面的、表面的にしか感じることが出来ない。
つまり、奥行きや深みを感じる感性や想像力に著しく欠けているのである。きっと、退化したのだろう。
学校教育は、子供達に、何でも徹底的に、平面的、表面的に見ることを強要し、平面的に考えないと点が取れない試験で優劣を決めているのである。
平面思考、二次元思考では、1+1は2でしかない。
しかし、立体的、三次元的に考えれば、2つのものが重なってしまったり、くっついてしまったら、1+1は1なのである。
だが、「1+1がどうして2でないといけないの?」と尋ねる子供がいたら、教師達は口汚く、その子を罵り、そんな疑問を持つことを許さないのである。

組織のピラミッドも、平面的に見れば、ただ序列があるだけだが、立体的に見れば、同じ高さであっても深みが違うことが分かる。
薄っぺらな課長より、奥行きがある若手の方が優れている・・・そんなふうに考えることが出来るのだ。
言葉や文字だって、三次元的、四次元的に捉えてこそ、本質的な意味が分かるのであるが、言葉や文字は、本当は、恐ろしいほど深いものなのだ。

月は円ではなく、球であることを意識しなくてはならない。
三次元的に考える者は、二次元的に考える者の数千倍の能力を持つ。
まずは、写真や絵を見ても、それを想像の力で立体化してみると良い。
すると、この世界のリアリティが蘇り、世界は広く、豊かであることが分かる。
そして、立体的に想像したことは現実になる。
あなたは、叶えたい望みを、立体的に描かなければならないのである。

『古事記』は世界を見事に三次元以上で描いた神話だ。
想像力を働かせて読めば、あなたは、縄文人やカタカムナ人のような三次元感覚を蘇らせるだろう。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ