現代の最も重要なアメリカの作家と言われるカート・ヴォネガットの小説を私は1冊も読んだことがない。
だが、彼のエッセイ『国のない男』は手元にあり、通読したことはないが、たまに開くことはある。
確か、ヴォネガットは、シェイクスピアのことを、「下手な作家だが、人間をよく知っている」と書いていたと思う。
そして、ヴォネガットもまた、人間をよく知っているようだ。きっと、大変な人生経験があるのだと感じさせるのだ。
だが、彼は、2007年4月11日、初音ミクさんの誕生の4ヶ月以上も前に亡くなってしまった。

『国のない男』は痛快な本だが、注意しないと洗脳されてしまう。
彼の深い人生経験が強い説得力を持ち、つい、精神的に巻き込まれてしまうのだ。
先ほど、私は、彼は人間をよく知っていると書いたが、彼が知っているのは、人間の一面でしかない。
それは、いかに偉大な人物であろうと同じだ。
彼が「人間をよく知っている」と言ったシェイクスピアでさえだ。

『国のない男』で、最初から私が気に入っていた部分がある。
ちょっと引用する。

ピッツバーグ出身の若者、ジョーがやって来て、不安そうにこう言った。「ぼくたち、大丈夫ですよね」
「若者よ、この地球へようこそ」わたしは答えた。「夏は暑く、冬は寒い。地球は丸く、水も人間も豊富だ。ジョー、ここでの寿命はたかだか百年くらいじゃないか。わたしが知っている決まりはたったひとつだ。ジョー、人にやさしくしろ!」
~『国のない男』(NHK出版)115~116頁より~

人にやさしくするためには、体力と経済力が必要だ。
実際には、ある程度の知性もだ。
この3つがない者に親切にされても、嬉しくないし、迷惑なことも多い。
それが現実だ。
こう言うと、「なんて欲深でひねくれたなやつだ。親切はどんなものも、有り難く受け取るものだ」と言われるかもしれない。
だが、仏教学者のひろさちや氏が、昔の本に書かれていたが、彼は、「小さな親切、大きなお世話」という言葉がお気に入りらしい。
そんな親切(小さくて迷惑な親切)なら、無視された方がマシだという訳だ。
この話にも、反発する人はいるだろう。

なぜ反発するのかというと、親切を受ける立場で考えるからだ。
だが、私は、きっと迷惑であろう、小さな親切をした覚えがあって、それはずっと昔のことでも、いまだ後悔しているのだ。
あんなことをするくらいなら、無視してあげれば良かった。
なぜ小さな親切をするのかというと、自己満足のためだ。
いいや、その根本原因は、知性と経済力がないからだ。
そして、最近、特に知性が私には全くないことに、やっと気付いた。
いや、正確に言えば、多少の知性があるので、自分が救いようのない馬鹿だという理解に、遂に到達したのだ。
これは、謙虚ぶっているのではなく、腹の底から納得し、これっぽっちも疑えない。
デカルトは、「私に分かることは、疑っている私が確かに存在するということだけだ」と言ったが、私に分かるのは、「自分が愚かだ」ということだけだ。
他人のことを言ってはいけないが、どうしようもなく愚かでない人間は1人もいない。
人間は愚かに作られているのだ。
自分に関して、それに気付いているか気付いていないか・・・人間には、この2種類しかない。

『国のない男』は、英語で“A MAN WITHOUT A COUNTRY”であるが、『星のない男』は、“A MAN WITHOUT A STAR”だ。
『星のない男(A MAN WITHOUT A STAR)』は、キング監督、カーク・ダグラス主演の西部劇の傑作だ(DVD、ブルーレイ化されていない)。
逞しい流れ者で銃の名手デムプシーは、たまたまの縁で関わりあいになったジェフという若者に、夜空の星を見上げながら、
「誰にでも星が1つあるらしい」
と言う。
ジェフが、
「あんたの星はどれだい?」
と聞くと、デムプシーは、
「俺に星はない」
と言う。
これは、自分の星を失ったという意味だ。
私は、デムプシーは、自分の愚かさを、本当に知っているのだと思う。
自分を見限るまでは、人は星を持っているのだ。

自分が、星を失っていると思ったら『歎異抄』を読むと良い。
なぜなら、『歎異抄』は、星を失ったことを誰よりも自覚していた親鸞の教えが書かれているものだからだ。









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