「足るを知る」という言葉がある。
言うまでもないが、必要なだけあれば良く、不要なものを求めないという意味だ。

しかし、この言葉には明らかな不足がある。
それは、必要なだけあれば良いが、その必要なものを自分で得られないなら、愚か者なのだという認識だ。
このことは、よほど若い時を除き、年齢には関係ない。

世界中で、かなり多くの人の嘲笑の対象になってしまっているジョージ・アダムスキーがこう述べている。
「スーツは、今、着る分だけあれば良い。私は、それ以上欲しいとは思わない。しかし、それが得られないなら、私は愚か者だということだ」
これは、私の座右の銘になっている。

「理想が高過ぎて彼氏(彼女)が出来ない」などという女性(男性)がいるかもしれない。
しかし、自分がそれ(理想の彼氏や彼女)に相応しいなら、それは出来るのである。
彼らもまた、愚か者なのだ。
まずは、自分が愚か過ぎて、身の程知らずだと認識する必要がある。

だが、本当に、自分が愚か者で、身の程知らずで、それをどうにも出来ない場合はどうすれば良いのだろう?
言うまでもなく、最悪を受け入れるしかない。
肉体の死か、尊厳の死である。
もし、それが出来たら、一気に人間を超える。

ところが、真実を言えば、救いようのない愚か者、身の程知らずでない人間など、この世に1人もいない。
だから、誰もが最悪を受け入れる必要があった。

しかし、もう、そんな厳しい時代ではない。
我々は、ただ1つ、神を、自我より高いものであるとさえ認めれば良い。
神という言い方が嫌いな人もいるかもしれないが、神がいないはずがない。
自我より上位にある意思が存在せず、偶然に宇宙や地球や人間が出来たはずがない。
その力ある意思が神である。
その神に、一切をまかせ切ってしまうのである。
それは、親鸞の(あるいは、イエスや黒住宗忠の)教えの核心であるのだけれど、それが出来る人は少ない。
人々は、自我を神の上に置いてしまっているのだ。
だが、自然と自分の心を本当に観察すれば、そんな愚かな認識を持ったりはしない。

世界と、その対立物である自分の心を共によく観察することだ。
そして、腹の底から、自分が愚か者であると悟り、神に完全に降伏する時、不思議なことが起こるのである。









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