特殊な場合を除き、人間の一生の運の収支は全く同じで、「いくらかプラス」で終わるのだと思う。
ドワンゴの川上量生会長は、自分が成功したのは運だと述べられていたと思うが、私は、彼が特に運が良いとは思わない。
川上会長にしろ、ビル・ゲイツにしろ、我々となんら変わらない。
得るものが多いなら、失うものも多いのだ。

幸運に恵まれた人を見て嫉妬する必要はない。
その人は、それなりの犠牲を払ったのだし、あるいは、これから払わされるのだ。
逆に、不運な人にあまり同情する必要もない(多少はした方が良いが)。
その人は、すでに良いものを得ているか、あるいは、後で得るのだ。

良いことばかりで過ごしていると、いつか、大きな不幸によって、まとめて運の負債を払わされる可能性がある。
だから、普段から、少しずつ、嫌な目、痛い目、辛い目にあっておくべきである。
悪いことが起こったら、「この程度で、酷い悲惨を免れることが出来るなら安いもの」と喜べば良い。
「生きてるだけで丸儲け」
こう思って生きていれば、不運に逞しく耐えながら運を貯め、やがて、成功するし、それでも慢心せずに、待遇の悪さなどを甘んじて受け入れれば、いつまでも成功するだろう。

大きな不幸を避け、苦しさ、悲しさに耐えて運を貯めるのは、「南無阿弥陀仏」の念仏や、「アジマリカン」の呪文を唱えると良いだろう。
そして、うまくいっても驕らず、悪い結果が出ても、過度に動揺したり、嘆いたりせず、いつも、出来るだけ心静かであることだ。
むしろ、良いことがあるごとに謙虚になり、悪いことがあるごとに、「この程度で済んだ」と感謝すると良い。
そうすれば、この人生は楽しいものになるだろう。









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