「20世紀最大の詩人」W.B.イェイツは、「人生が悲劇だと認識した時に、初めて本当の人生が始まる」と言ったらしい。
そんなこと言ったら、ちびまるこちゃんに、「アンタ、大袈裟なんだよ」と笑われそうだ。

あくまで、『美少女戦士セーラームーン』での、土萠(ともえ)ほたることセーラーサターンの言葉として見たのだが、アインシュタインは、「他の人のために生きるようになって、初めて本当の人生が始まる」と言ったらしい。
こちらなら、ちびまるこちゃんも、「アンタ、立派だねえ」と誉めてくれるだろう。

「人生が悲劇だと認識した時に、初めて本当の人生が始まる」(イェイツ)
「他の人のために生きるようになって、初めて本当の人生が始まる」(アインシュタイン)
イェイツのは難しく、アインシュタインのは簡単だ。
だから、ちびまるこちゃんも、イェイツは馬鹿にして、アインシュタインには納得するかもしれない。

イェイツとアインシュタインの違いは何かというと、文系と理系の違いだ。
文系と理系の違いは、いろいろに言われているが、例えば、「主観的なのが文系、客観的なのが理系」と言った人がいる。
割合に分かり易いが、まだまだ納得し難い。

究極の定義はこうだ。
苦労したがるのが文系。
楽したがるのが理系。
イェイツは文系なので、「人生は本当は悲劇だ」なんて、無限の苦労への扉を開いてしまった。
アインシュタインは理系なので、「とりあえず、他の人のために生きれば、いい意味で大人なんだよ」と簡単に決めてしまったのだ。
上の「主観的なのが文系、客観的なのは理系」も正しいのだが、曖昧過ぎるのだ。
主観は複雑だが、客観は単純だ。
複雑なものに執着するのは、自分で自分の首を絞めたがる、苦労好きの文系だ。
楽をするためには、ものごとを単純にしなければならないのだ。それが理系が昔からやってきたことだ。
文系は苦しむための学問で、理系は楽をするための学問だ。

「悟りとは何か?」を、文系の人と理系の人に答えさせたら(答えられればだが)、文系は百万語を費やして説明するが、理系は一言で説明するのだ。
別に、どっちが正しいという訳ではない。
難しいのが好きな文系と、簡単なのが好きな理系の違いというだけのことで、「あんたら言ってること同じじゃん」と言ったら、文系の人は「そうですねえ」としぶしぶ納得し、理系の人は、面倒だから「そうかもしれませんねえ」と言うのだ(理系は、文系の人が書いた複雑な文章を読まない)。

吉本隆明氏の「共同幻想論」と、岸田秀氏の「唯幻論」という、似たものがある。
大学の専攻で言えば、工学部の吉本氏が理系で、文学部(心理学科)の岸田氏が文系だ。
しかし、実質は全く逆で、吉本氏は文系思想で、岸田氏は理系思想だ。
「共同幻想論」は難しく、「唯幻論」は簡単だ。
違いはそれだけで、苦労したがる「共同幻想論」と楽したがる「唯幻論」というだけのことだ。
あまりにも楽したがり、自分のことを究極のものぐさという岸田氏は、「人間は狂っている。以上」で終わりなのだ。
一方、吉本氏は、結論は出さず、ちまちまと希望を考察するのだ。

「共同幻想論」と「唯幻論」に対する正しい態度はこうだ。
まず、「唯幻論」の通り、人間は狂っている。それは認める。
しかし、人間というのは、極めてちっぽけではあるが、知性も与えられているのだ。
その知性で、なんとか、こうとか、やっていくしかないのだ。
そのためのヒントを、吉本氏が出してくれているが、吉本氏の思想を全部理解しようなんて思っては駄目だ。
そもそも、吉本氏の思想は、全然実用的でない。
無論、彼の頭脳は最高だが、いかんせん、実質が文系なので、苦労するためのアイデアしか出せない。
一方、岸田氏は、ハナから実用というか、人々を救おうなんて思っていない。しかし、それで良い。他人を救えるはずがない。
さっきも述べたが、卑小な知性しかないが、それでやっていくしかない。
ただ、自分が狂っていることが分かりさえすれば、それで十分だ。
ポンコツの自転車しかなくても、それでやっていくしかないと諦めれば、その自転車もそれなりに役に立つ。
ただ、「この自転車はポンコツ」と本当に実感出来たら、神様は最新の高性能スポーツカーやブルドーザーを下さる。
そのためには、「この自転車は本当にポンコツ」、つまり、「私の知性は本当にポンコツ」、「私はつくづく馬鹿」、「私はどうしようもなく腐っている」と、腹の底から納得しなければならない。

昔、元アイドル歌手の女優である斉藤由貴さんが、不倫して釈明会見したと思うが、その時、斉藤さんは、涙を流しながら、
「私って、どうしていつも、こうなんでしょうね」
と言ったが、彼女はまだ、本当の人生が始まっていなかったということだ。
彼女が、「私、馬鹿なんだから、こんなの当たり前じゃない」と本気で思えたら、彼女は超人になるのだ。

「バルディッシュ・・・。お前もこのまま終わりたくないよね。私は・・・私たちは、まだ始まってもいない。本当の私を始めるために、今までの私を終わらせる!」
~『魔法少女リリカルなのは』より。フェイト・テスタロッサの言葉~
ただし、フェイトは、心の中の母を捨て切れずに、いつまも苦しむのだ。
彼女も、超ロングのツインテールなんだから、初音ミクさんの、自我(馬鹿、狂気の元)のない歌を聴けば、自然に苦しみを克服するだろう。









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