E.E.スミスの世界的なSF小説である『レンズマン』シリーズで、宇宙で最も精神的に進化したアリシア人が、正確には覚えていないが、「石ころ1つにでも、何千年も意識を集中すれば至高の領域に達する」と述べていたのが印象的だ。
実際には、このような言葉でなかっただろうが、私の直観は、この通りだと感じているのである。
ただし、だからといって、本当に石ころに、毎日集中する修行をしなければならない訳ではない。
アリシア人が本当に存在しても、きっとそんなことはしなかっただろうし、釈迦もイエスもやっていない。

我々の無意識は何千年も前から存在し、何千年も後にも存在する。
正確には、無限の過去や無限の未来に存在する。
しかし、本当のことを言えば、無意識には時間がないのだ。
無意識に対し、意識とは時空の囲いみたいなもので、今、ここにあることしか分からない。
インターネットの向うにあることだって、今、ここにある映像として認識するだけなのだ。
その意識をどんどん希薄にしていくと、時空の囲いが壊れていき、意識は、無意識の中にどんどん広がっていく。
そうすれば、時間や空間の制約も少なくなっていく。

そこらにある石ころだって、何百年、何千年と、だいたい同じような形だったのだし、これから何百年、何千年と、同じような状態であり続ける。
何千万年、何億年も昔や未来では、かなり様態が違うとしても、やはり、何らかの物質として存在したし、また、存在し続ける。
意識が希薄になれば、石ころを見ると、そんなことが感じられるのである。
目の前の石ころが、目に見えている石ころでなくなれば、我々はもう、これまで普通に考えていた意味での人間ではないのだ。

呼吸をひたすら微かにしていけば、意識は無意識の中にどこまでも広がっていき、3次元世界は消えてしまうが、それが本当の世界なのである。
世界が何で織り成されているかが分かるし、世界の根本原因も分かる。
古代の聖者もそんなことを言ったかもしれないが、彼らは、別にそれを、もったいぶった言葉で、重々しく言ったのではなく、気楽に、当たり前のこととして言ったのだ。
ただ、それを聞いた者が、ひどく感激してしまって、言葉を飾り、その後の人達が、さらに難しい言葉で権威を持たせ、実質は完全に失われてしまったのだ。
それで、誰にも理解し難いことになってしまった。
しかし、実際は、呼吸を微かにしていけば、誰にでも分かることだ。

呼吸を微かにし、時空を超えた精神になってしまえば、色々面白いことがあるだろう。
最初のうちは、意識が戻った時に何も覚えていないが、夢を見ていたような印象は残る。
しかし、たゆまず呼吸を微かにすれば、やがて覚えていられるようになる。
時空と、その中の物質の支配の方法も分かるようになるだろう。
アリシア人が言ったのは、そんな簡単なことであると思う。









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