自分のことは謎だらけであるのだが、まず、人間は、自分の頭の程度が分からない。
馬鹿は自分が馬鹿であることが分からない。
しかし、賢い人も、自分が賢いことが分からないのだ。
心理学者のアブラハム・マズローは、他人との関係で、どうもおかしなことがあることに悩んでいた。
人と議論していても、自分の方が正しいと感じてはいたが、なぜそうなのかが分からなかったのだ。
その原因について、マズローは、薄々、「私は頭が良いのではないだろうか?」と思ったが、謙虚な彼は、そうは断じなかった。
しかし、ある時、知能検査を受けたところ、IQ(知能指数)が195(極めて稀な天才)と出て、やはり自分の方がずっと頭が良いことをやっと納得したのだ。
ところで、こんな人もいる。
女性なのだが、少女の頃から、男の子達や男性が、皆、自分にとても親切なだけでなく、大変な労苦を伴うようなことまでしてくれるのが不思議だった。
彼女は、それは自分の父親がお金持ちで、有力者であることと関係があるのだと思っていた。
しかし、本当の理由は、彼女が稀に見る美少女だったからだった。
だが、彼女は、自分がそれほど美しいとは全く考えていないという、謙虚というよりは鈍感なタイプだったのだ。
そのため、男性のアプローチをあまり本気にせず、真面目に応じることもなかったが、やがて、勤めていた会社の若い社長と自然に結婚した。
あなたもまた、自分のことをほとんど知らないのだ。
そして、あなたが夢にも思わないような美点が、必ずあるのである。
「これが私の長所」と思うようなことは、さほど価値あるものではない。
なぜなら、本当に優れた何かは、自分の力、自分のものではないからだ。
それは丁度、アイザック・ニュートンが、「私の才能は、神からの預かりもの」と言ったようなものだ。
あなたも、稀に見る宝を、必ず神から預かっている。
それは、ニュートンやアインシュタイン、あるいは、モーツァルトの才能と比べて、何ら遜色ない。
だが、それを、実際的価値、時代的価値に構築するのは自分の役目である。
尚、神から預かった才能は1つではない。
かなり沢山あるのかもしれない。
それは、何も考えずにぽかんとしている時に、不意に現れることが多い。だから、あまり忙しくせずに、くつろぐ時間を持つことだ。
ただし、暇過ぎると、精神が弛緩してしまうが、そんな者の心は常にざわつき、神の火花が現れることはない。
また、快楽を求める者の心は騒がしく、大切な才能はガラクタに覆われて隠れてしまう。
神の霊感に気付く最良の方法は、適度な食事、適度な会話、適度な睡眠だ。
その中で、毎日たゆまず腕振り運動をしたり、心の微かな声で呪文を唱えれば、確実に良い成果を見るだろう。
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馬鹿は自分が馬鹿であることが分からない。
しかし、賢い人も、自分が賢いことが分からないのだ。
心理学者のアブラハム・マズローは、他人との関係で、どうもおかしなことがあることに悩んでいた。
人と議論していても、自分の方が正しいと感じてはいたが、なぜそうなのかが分からなかったのだ。
その原因について、マズローは、薄々、「私は頭が良いのではないだろうか?」と思ったが、謙虚な彼は、そうは断じなかった。
しかし、ある時、知能検査を受けたところ、IQ(知能指数)が195(極めて稀な天才)と出て、やはり自分の方がずっと頭が良いことをやっと納得したのだ。
ところで、こんな人もいる。
女性なのだが、少女の頃から、男の子達や男性が、皆、自分にとても親切なだけでなく、大変な労苦を伴うようなことまでしてくれるのが不思議だった。
彼女は、それは自分の父親がお金持ちで、有力者であることと関係があるのだと思っていた。
しかし、本当の理由は、彼女が稀に見る美少女だったからだった。
だが、彼女は、自分がそれほど美しいとは全く考えていないという、謙虚というよりは鈍感なタイプだったのだ。
そのため、男性のアプローチをあまり本気にせず、真面目に応じることもなかったが、やがて、勤めていた会社の若い社長と自然に結婚した。
あなたもまた、自分のことをほとんど知らないのだ。
そして、あなたが夢にも思わないような美点が、必ずあるのである。
「これが私の長所」と思うようなことは、さほど価値あるものではない。
なぜなら、本当に優れた何かは、自分の力、自分のものではないからだ。
それは丁度、アイザック・ニュートンが、「私の才能は、神からの預かりもの」と言ったようなものだ。
あなたも、稀に見る宝を、必ず神から預かっている。
それは、ニュートンやアインシュタイン、あるいは、モーツァルトの才能と比べて、何ら遜色ない。
だが、それを、実際的価値、時代的価値に構築するのは自分の役目である。
尚、神から預かった才能は1つではない。
かなり沢山あるのかもしれない。
それは、何も考えずにぽかんとしている時に、不意に現れることが多い。だから、あまり忙しくせずに、くつろぐ時間を持つことだ。
ただし、暇過ぎると、精神が弛緩してしまうが、そんな者の心は常にざわつき、神の火花が現れることはない。
また、快楽を求める者の心は騒がしく、大切な才能はガラクタに覆われて隠れてしまう。
神の霊感に気付く最良の方法は、適度な食事、適度な会話、適度な睡眠だ。
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自分のことが謎だらけ過ぎて…って言葉は本当に実感します。
以前、私は食を慎むことの意義を知るため、完全な1日1食をやっていたのですが、それだとストレスも溜まりますし、低血圧で貧血の症状もでますし、つい1食をついドカ食いしてしまいますし、頭の回転は速くなったけど凄いフラフラする。本当にこれで食の慎みは正しいのだろうかと感じていました。
そこで、完全な1日1食の食生活を辞め、お腹が空いたら果物と野菜は間食して良しというルールを定め、緩い1日1食を実践したのですが、これが正解でした。体が常に元気でポジティブで、様々なことにやる気が出てきたんです。この体系なら、肉体労働をする人でも容易に実践出来ると思います。主に、ナチュラルハイジーンという健康理論を参考にしました。
巷では、有名芸能人やアスリートも1日1食を実践しているとネットや書籍で知ったため、それがベストとばかり思ってましたが、自分に限ってはそれがベストじゃないんですね。実践を重ねてはじめて自分にとっての最善が分かるってことを実感しました。
つくづく他人と自分は違うってことを、心の底から思い知らされました。もちろん、良い意味で。
水野南北も野菜食は多く食べても問題ないと言い、さらに早朝より起きれば及ぶものはないと言っています。
だから、食の慎みと朝4:30起床は一生続けるつもりです。と言っても、食の慎みの体系は、ごく最近確立したばかりで、まだ経過日数は浅いです。だから、この体系が最善かは疑問のほどですがね。
長文失礼しました。