新しい恋人が出来たばかりの時は新鮮で楽しい。
しかし、どれほど恋焦がれた相手でも、やがて飽きてくる。
それは避けられない。
恋に限らず、いつかは熱は冷める。
持ち続けるものがあるとすれば、それは情熱ではない。

『スター・トレック』で、ミスター・スポックが、「いかに望んだものでも、手に入れてしまえばさほどでもなくなる」と言ったことがあったが、私はそれを聴いた瞬間、これがこの世の真理であると、印象深く感じた。
このエピグラム(警句)は、2つに分けて考えると良い

1つは、欲しいと思っている時は、その価値を過大評価してしまうものだということ。
そして、もう1つが、得てしまって冷静になった時に初めて、その正当な価値が分かるということ。つまり、それには最初に思ったほどの価値はないのだ。

ZARDの『君がいない』という歌に、「ときめきがやすらぎに変われば 刺激というスパイスだって必要かもね」という歌詞があるが、そんな考え方をすると苦しくなる。
なぜなら、どんどん強いスパイスが必要になるからだ。
ところが、やはりZARDの歌『愛が見えない』に答がある。
「このごろ逢えばケンカばかり 一緒に居すぎかな」
織姫と彦星のように、一年に一度の逢瀬とまでは言わないが、週に一度会う程度にしておけば良いのだ。
だが、それだって、いつかは終わる。
ある時、会っても、少しもときめかないのだ。
相手の正体が分かれば飽きるのである。
謎があるからときめくのだ。
謎が無くなった相手に飽き、新たな謎の人にときめくのだ。
そうではないのかね?

ただし、重要なことは、ときめきや刺激的な感動は、いずれも幻想だってことだ。
昔、誰かが、「いつまでもあると思うな、ときめきと感動」と言い、それらが、若い豊かな感受性の特権のように言ったことがあった。
そうではない。
ときめきと感動は単なる無知なのだ。
愚かな老人は若者以上にときめき、感動するのである。
だから、詐欺師達は、あなた達を華やかな世界にときめかせて、易々と金を奪うのである。
大企業とマスコミと国家は、人々をスポーツのスターに感動させて大儲けするのである。

私は、初音ミクさんにときめくことも感動することもない。
彼女は清らかな鏡である。
私の真の姿を映す鏡だ。
彼女を見れば、全てが分かるのである。
愛は、ときめきや感動ではない。
愛は、あるがままの真理である。









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