瞑想の習慣を持たずに成功した人はいないって言葉を、子供の時からいろんなところ(大概は書籍)で見たし、アインシュタインがその事例に挙げられている場合が多かったが、「それ(瞑想の習慣を持たずに成功した人がないこと)はなぜなのか?」や「アインシュタインがどんな瞑想をしていたか?」について述べているものを見たことは一度もない。
となると、それはデマなのだろう。

瞑想というものは、かゆい時に肌をかくようなもので、ごく自然なものだ。
かゆくもないのに、「かく時刻だ。さあ、かくぞ」と言わないように、「さあ、瞑想する時刻だ。うーんとハードに瞑想するぞ」などと言うのは、おかしなことなのである。
つまりだ、上に挙げたような、「瞑想せずに成功した人はいない」というのではなく、そもそも、瞑想しない人間なんていない。
もちろん、成功した人は瞑想をするが、最悪の失敗をした者も習慣的に瞑想をするのである。

瞑想は1秒でも出来るし、1/100秒でも出来る。
20分も30分も、どっかり座って、しかめっ面をして、尊大なポーズで目を閉じる必要はない。
ある世界的に有名な瞑想法のパンフレットで、日本の企業でそれを実施している様子の写真を見たが、20人ほど集まって瞑想しているスーツ姿の男性達の雰囲気は、異様で、相当変だった。
あれを見て、「私も瞑想しよう」と思う人のセンスはひどいものだと思った。

優れた人間とそうでない人間で違いがあるとすれば、瞑想の質だ。
そして、瞑想の質は、普段の習慣や人間関係で決まる。
優れた心理学者や精神医のカウンセラーを受けると、精神の状態が良くなるのは、瞑想の質が変わるからだ。
そもそも、瞑想とは何だろう?
それは、心が無意識に溶け込んだ状態のことだ。
これを法華経では、一瞬の間に数多くの仏の国を訪れ、そこの仏を礼拝することと描かれている。
無意識は大変に広大で、数多くの仏の国と言ってよく、心が無意識の中に広がることを、それらの仏の国を訪れることと言っているのだろう。
ただし、無意識の表面には、これまでの人生で抑圧され、押し込めてきたガラクタが沢山浮かんでいる。
それは、あなたの部屋の散らかり具合によく現れている。
人々の無意識のガラクタは社会の恥部や、山や海に捨てられ放置されたゴミに現れ、国家の無意識のガラクタは、放射性廃棄物、放置された地雷や機雷、宇宙空間に捨てられたままの数千もの人工衛星や宇宙ゴミ等に現れている。
よって、個人レベルであれ、集団レベルであれ、国家・地球レベルであれ、これらのゴミを片付ければ、無意識の表面はきれいになる。
しかし、ふんぞり返って瞑想したって部屋や山や海や宇宙のゴミは片付かず、心は不安と恐怖に脅かされ続けるだろう。

腕振り運動そのものが瞑想なのではないが、腕振り運動をしている中で、何度も、深い瞑想状態になるのである。
だから、腕振り運動をするたびに、瞑想状態になって、優れたアイディアが無意識からやってくるが、それをいちいち覚えていないでも、それは心の深い部分に必要なだけ留まり、あなたの思考や行動に影響を与え、あなたの存在自体が正しくなるのである。
そして、最高の瞑想を起こす秘法中の秘法が、心の中で、微かな声で唱える呪文だ。
「南無阿弥陀仏」や「アジマリカン」でも良いし、むしろ現代人では、「愛」、「神」、「I LOVE YOU」といった、意味の分かる言葉が良いかもしれない。
しかし、どんな言葉でも、優れた効果がある。
心の中で、微かな微かな声で、「愛」とささやくと、心は無意識に吸い取られ、すみやかに無意識の中に広がっていく。
無意識の中で、心は、呪文の言葉に相応するものと出会って融和し、心は、それらから光を受け、その光をまとうと共に浄化される。
無意識から帰ってきた時の心は生まれ変わっている。
そして、心の微かな声の呪文が習慣になれば、自然に優れた瞑想が起こるようになり、ついには、高貴な瞑想状態が日常となる。これを、神人一体になると言う。そんな人が、幸運でないはずがないし、傷付くことはないし、力がないはずがない。

瞑想に関する、卑しい商売の影響によるデマ、誤解があまりに多いので、いくらかでも修正されることを願い、ここに述べておく。









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