人間は安心が欲しいのだが、不安だって必要だ。
不安がなくなれば、退屈で死んでしまう。
不安は、向上するために立ち向かうべき、必要なものだ。
不安の陰には、必ずや喜びの種がある。その喜びを得るために、不安を乗り越えようとする強さを発揮するのだ。
例えば、失業の不安があるからこそ、勉強してスキルを見につけるのだし、死の不安があるからこそ、真理を求めようとするのである。

子供というのは、引っ越しで学校が変わることになってしまい、仲の良い友達と別れなければならなくなると、もちろん、悲しいし、転校先の不安もあるのだが、同時に、新しいところに行く喜びも十分にあり、さほどの抵抗は持たないのである。
なぜかというと、やはり、子供は心が柔軟だからだ。
そして、なぜ心が柔軟なのかというと、固定観念が少ないからである。

固定観念が少ないことを若いというのである。
伝統やしきたりに従って当然であるといった固定観念を持たない者は、いい年であれば、世間的には馬鹿だと思われることもあり、立派な人間と見なされないこともあるが、やはり、そのような者は若く、心が柔軟で、強いのである。
そのような人は、トラインの本に出てきた80歳過ぎの女性のように、25歳以上には見えないようにもなるのである。
結婚式や葬式は、日本もかなり形式化しているが、日本以上に民族色の濃い国や地域も多い。そのしきたり通りにやらないと、白い目で見られたり、下手をすれば村八分だ。
だが、もうそんなものは叩き壊すべき時だ。

将棋の羽生善治さんは、強いだけでなく、従来の将棋界の、権威に守られて来た伝統やしきたりを壊してきた。
つまり、プロの将棋というのは、自由に打っているのではなく、定石手順という常識があり、例えば、「名人戦のような大舞台では、この手順で行くべき」、「大先輩を相手に、大試合ではこんなことをやってはいけない」というものが沢山あったが、羽生さんがそれを壊し、今では、もうそんな言い方をされなくなってきている。
そして、将棋は進歩し、また、棋士にとっても、観る者にとっても、将棋が面白くなったのだ。

ビートルズだって、「ロックとはこんなものだ」とか「ブラックミュージック(ブルース、ヒップホップ、ジャズ等)とはこんなものだ」という固定観念をぶち壊して(もちろん、良いところは残し)、うまくアレンジしたのが新しかったのだし、いまだに独創的なんだと思う。

ビートたけしさんは、今のお笑い界のあり方を憂いているし、「今の若いやつらは気の毒だ」とも言うが、別にお笑い界を改革しようとは思っていないと思う。意外に(?)謙虚なあの人は、自分にはそんなことは分不相応と思っているだろうし、若いやつは自分でなんとかしなきゃいけないと、ある程度、突き放しているのだろうと思う。
しかし、羽生さんは、将棋界のためであると共に、後に続く若い人達のためにも、将棋界を改革したのだ。だが、それでも、若い人は若い人で、自分のスタイルを持たなければならない。
ところで、羽生さんですら、若い人と対戦すると、自分のマンネリに気付き、彼らの新しい発想に感心するらしいが、それも、羽生さんが、伝統的な定石を壊したことで、若手が本来の創造性を発揮できるのだと思う。そして、それは、羽生さんにも、若手から刺激を受けて向上出来るというメリットをもたらしているのである。

神秘世界のことに関しても、カバリストはカバラにこだわり、キリスト教徒は聖書にこだわる。
仏教の僧侶が、一見、柔軟にキリスト教やイスラム教に理解を示すこともあるが、所詮は仏教の優位をほのめかすのである。
また、ラマナ・マハルシを崇拝する者は、彼の教えが最上と信じて疑わない。
だが、いかに優れた教えでも、それにこだわれば、固定観念を作り、柔軟性を失い、そして、弱くなり、生命力を奪うような不安を持つことになる。

あなたは何者でもない。
本当のあなたは、見ても見えず、聴いても聴こえず、捕まえることはできない。
真のあなたは、それほど希薄で、微細なので、極めて柔軟なのだが、それは同時に、最も強いのである。
腕振り運動や、心の微かな声の呪文をたゆまず続ければ、そのような、柔らかくて強い自分になれるだろう。
そうなれば、恐れがなくなり、恐れがなければ、不思議なことに、虎すらあなたを害しない。
まして人であれば、あなたに逆らうことも出来ないだろう。









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