テレビでAKB48などのアイドルを見ると、つくづく、人間というのは運命を生きているのだと思う。
彼女達を見ていると、たまたま容姿に恵まれて生まれ、たまたまチャンスを捕らえ、たまたまアイドルでいることに熱中し、たまたま上手く行ったのだということが分かるのである。
当然、彼女達にも、四苦八苦、悲喜こもごもがあるのだろうが、それらも全て、たまたまそうなっただけなのだ。
彼女達が自分の意志でやっているといったようなスピーチやドキュメンタリー映像を見ると、本当は誰でも違和感を感じているのだと思う。
そして、あのグループの中でも、自分の意志でやっているという意識の強い人ほど早く駄目になっていると思うのである。
自分はやらされているだけといった、少し引いた(あるいは醒めた)感じのある人が、年を取っても長く活躍するように思う。

昔の3人組の男性アイドルグループの1人が、グループ解散後、かなり年月が経ってから、「僕達は、正直、芸能界をなめていた。適当にレッスンして適当に歌ったら、それで売れるんだから」と言っていたのは、正直な告白と思うが、彼は、人気がなくなってグループを解散した後、自力でがんばってうだつが上がらない。
だが、その中で、一番醒めていたような者が、大俳優になっているのである。

ピカソが幼い頃から絵の英才教育を受け、超名門美術学校で学び、やがて、新しい絵画スタイルを創造して歴史的画家になったのも運命。
一方、毎日サンマと大根おろしを食べさせられながらパリに憧れ、美術の情報なんてほとんどない田舎で育ち、東京芸大の受験は4回連続で失敗して諦め、街の似顔絵屋としても見込みがなかったという池田満寿夫さんが、それでも諦めずに絵を描き続けているうちに版画に出会い、やがて世界的美術家になったのも、まさに運命を感じさせる。
横尾忠則さんは、自分は、天上の美を地上に現すための神の道具でしかないと言われていたと思うが、彼は自覚があるのだ。

ある浄土真宗のお坊さんは、老衰で寝込み、意識もない状態だったが、不意に起き上がり、「我が力やない」と言い残して亡くなられた。
この「我が力やない」というのが、浄土仏教の真髄であると共に、世界の真理であると思う。
ラマナ・マハルシは、「財務長官は、責任感を持って熱心に仕事をしているように見えるが、実は彼は何もしていない」といった話を時々したらしいが、これも同じ真理を述べているのだろう。
何事も、自分の力でやっているのではなく、成功しても賞賛を受けるべきでないし、失敗しても悔やむ必要はない。

喫茶店に入ってカフェオレを注文したのも、自分でやったと思っているが、本当はさせられただけなのだ。
付き合っていた女の子に、思い切って「お前には耐えられない。これで別れよう」と言ったのも、言わされただけであり、また、そうなることは避けられなかったのだから苦しむ必要はないが、苦しむこともまた避けられない。だが、なるべく苦しまないことだ。

ところが、人間には、運命を変える鍵が用意されている。
それが自主的な掟の設定、つまり、自己制約だ。
自主的に食を慎んだり、自主的に沈黙を守って喋らないことで運命をオーバーロード(上書き)する。
何の得にもならないし、しかも、それをすることは少々辛いといったことを、あえてやれば、世界が変容するのである。
念仏ばかり唱えていたり、思い出せば腹に力を込めたり、肛門を引き締めることも、それに該当する。
これらは、楽しいと言うよりは、少々厳しい。しかし、それをあえてやれば、不思議な力をまとうことになる。
毎日、それなりの時間、腕振り運動を必ずするというのも、やはりそうである。
食の慎みにも似た自主性がなければ、腕振り運動だって続かない。
よって、1日千回以上の腕振り運動を長く続けることは、必ずや運命を開くのである。
上に採り上げた芸術家や宗教家、あるいは、長く芸能界で活躍している人達も、必ずや自分の掟を持ち、それを守っているはずだ。









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