宮本武蔵は、どんな時も後悔はしないと決めていたらしいが、我々もそうでなくてはならない。
インドの聖者ラマナ・マハルシは、ある男が、「隣の家の奥さんが美人でたまらない。間違いを起こしそうで恐ろしい」と相談に来た時、その男に、「たとえ間違いを起こしても後悔するな」と教えたらしいが、私も適切なアドバイスと思う。

それは、単純明快な真理のはずなのだが、イエスも親鸞も、これを教えるのに苦労した。
イエスは、「他人の罪を許したら、神もあなたを許すのだ」と、それらしいことを言った。
親鸞は、「念仏は、どんな罪も帳消しにして余りあるほど大きな善なのだ。だから念仏を唱えれば全く問題ない」と教えていた。
確かに、これらは、詭弁だったのかもしれない。
だが、彼らは、本当のことも教えている。
それは、「あなたが罪を犯したのは、避けられない運命だった」である。
イエスの場合は、それが神の意思と言い、親鸞の場合は、それはカルマによると言ったが、人間からすれば、どちらでも変わらないと思う。
(尚、一般の人に教えるつもりがなかったためもあると思うが、運命について最も深い書き方をしていたのは荘子だと思う。)

ニーチェやイェイツは、イエスのことは大嫌いだったが、それでも、自分がイエスに遠く及ばないことは認識していた。
だから、こんな言い方をした。
「何が起きたとしても、私はそれを喜ぶ」
その本当の理由を、彼らが説明したとは思えない。
しかし、誰でも、「何が起きたとしても、それは良いことなのだ」と10回ほど唱えてみれば、心に空が広がるのを感じるだろう。
それだけが証としか言えない。

漫画『カードキャプターさくら』(CLAMP著)で、エリオルがスピネルに、
「この世で一番楽しいことは何か知っているかね?スピネル」
と問い、スピネルが、
「何ですか?エリオル」
と尋ね返すと、エリオルは、
「予想しないことが起こることさ」
と答えたのを、私はよく覚えている。
CLMPがどんなつもりで書いたのかは知らないが、これはエリオルの途方もない強さを表している。
つまり、強くないと真理は分からないのである。なぜなら、弱いと真理に関心を持てないからだ。
ニーチェもイェイツもやはり強かった。
ニーチェは発狂したが(しかし発狂しても強かった)、イェイツは、死の間際になっても、決して安らぎを求めず、不良であり続けた。

強くなるために、毎日、何か1つの決めた行を決めただけやることをお奨めする。
決めたものがないなら、腕振り運動はどうだろう?
自然に立って、真直ぐに伸ばした両腕を前後に振るだけの簡単な運動だ。
手のひらは内側に向け、後ろに振る時にやや力を入れ、前に振る時は力を抜いて惰性で振る。
一度に2百回以上。1日5百回以上を、必ず毎日やれば、体内の気が活性化して、生命力が上がり、健康になって若返り、美しくなるだろう。
運も良くなり、毎日、必ず行う回数万円が年収になると思っていれば、必ずやそうなるだろう。
ただし、そう思うためには、淡々と数を数えながら、丁寧にやることである。
そして、毎日、なるべく同じ時刻に、同じ回数やることだ(回数を増やしたら、増やした回数を継続する)。
尚、腹に少し力を入れながらやると、心身が安定して楽しくやれると思う。
根気良く、長く続けることが大切である。

後悔しそうになったら、心の中で、微かな声で呪文を唱えると良い。
例えば、「愛」、「神」などの言葉で良い。
心の中の声を小さくするには、息を吸って止めている時に唱えると、うまくいくと思う。
念仏のように連続して唱えず、1回唱えるごとに、その余韻を感じると良い。
すると、どんな時も後悔しなくて良いことが分かるだろう。そして、真の力に憧れ、それと1つになるよう導かれるだろう。
だが、いずれも、自分でやらないと分からない。

尚、基本的なこととして、満腹するまで食べて自分を甘やかさないことが大切だ。
しかし、どこかの俳優のように、長期間絶食するパフォーマンスを見せる必要はない。
別に文句はないが、あんなことは、こっそり隠れてやるものである。
あれを真似する困った人もいるだろうが、そんなことをしても、何の報いもなく、むしろ害があるかもしれない。
普通に、何でも楽しく食べれば良い。
ただ、満腹するまで食べて自分を甘やかさなければ良いのである。それを一生やる決意をすれば、30日断食よりはるかに報われるだろう。









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