人がなぜ苦しむかというと、自分の自我を最も貴ぶからだ。
それだけのことなのである。

アメリカでは、長い間、うまくそれを避け、人々は苦労はあるにしても、案外に苦しまずにいて、幸福だった。
その理由は、信じられないかもしれないが、アメリカの建国以来の公式モットーが「我々は神を信じる」だからだ。
だから、アメリカ人は、自我より貴い神の存在を認めていたので、あまり苦しまずに済む状態にあったのだ。
しかし、今のアメリカ人は、国家のモットーなんか無視している。
それで、やはり、アメリカ人も自我を一番大切にするようになり、そのために、今ではアメリカ人も、めそめそ、鬱々と苦しむようになっている。
ところで、調査によれば、ユダヤ教徒はキリスト教徒より幸福であるらしい。
それは、ユダヤ教徒は、今でも神を信じていて、自我の上に神を置いているからである。
そもそも、神を信じないユダヤ教徒などいない。

日本には、そんな変なモットーはなかったが、人々は自然に、自分よりはるかに貴い神様の存在を感じていた。
太陽を神様の現われと考える人も多かった。
だから、「お天道様が見ている」という言葉に威力があり、悪人だって、悪いことは夜にやっていたのだ。
近代になってからも、正月には初詣に行き、子供の成長に合わせて七五三のお祝いをしたりと、空気のように、神事が自然に在ったが、ある時期からは、すっかり形骸化し、人々は、自分より上の目に見えない存在を信じなくなった。
それで、やはり、自我を最も大事なものと見なすようになり、苦しむようになった。

なぜ自我を最上位に置くと苦しむのかについては、くどくど説明する必要もあるまい。
皆が、身の程も知らずに、自分の自我が一番貴いと思っているのに、そんなこと、誰も認めてくれるはずがなく、それで争いが起こるが、所詮、権力者や金のあるやつには敵わない。
では、権力者や金持ちは苦しまないのかというと、全くそうではなく、そんな者達ほど、上を見て苦しむのだ・・・と、結局説明してしまったが・・・。

徳川家康は、天下取りの秘訣は、「身の程を知れ」、「上を見るな」だと言った。
それは、自我を最高の位から引きずり降ろすことだ。
しかし、誰も、そんなことは決してできないのだ。
だが、もし、本当にそれが出来たら天下を取れる。
家康は嘘つきではない。
ならば、やろうではないか?
身の程を知り、上を見ない人間になるのだ。

身の程を知るまで、毎日、淡々と腕振り運動をし、上を見る代わりに、心の微かな声で呪文を唱え、心の深奥を見るのだ。
これを一生やる気になれば、天下を手にしたも同然である。
どう天下を取るかは考えずとも、やがて、冒険に誘われるだろう。
身の程を知る人間は、危険な冒険の中でも安全なのである。
そして、上を見ない人間は何も恐れない。









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