心理学者は、「人間の心はなぜ苦しむのか?」ということを、自我の構造や働きを研究して解明しようとする。
それによって、心の苦しみを除こうとでもするような感じだ。
しかし、心の苦しみがなければ、人間は成長しないし、大きなことをすることもできない。

心とは、自我の働きの現われで、普通は、心と自我は同じものと考えて差し支えない。
自我は苦しむのが仕事のようなものだ。
どういうことかと言うと、自我は苦しみによって、宇宙に遍満するエネルギーを個人的な精神エネルギーに変える、いわば変電器のようなものなのだ。
宇宙エネルギーは無限に存在しているが、そのままでは人間は使うことができない。
だが、自我が苦しんでいれば、それは生命にとってピンチであるので、宇宙に満ちたエネルギーが変換されて取り込まれ、苦しみを除こうとするのである。
だが、苦しみに押し流されると、せっかく取り込まれたエネルギーは散乱し、心や肉体の細胞の中に十分に注がれない。
心が苦しい時しい時は、「持ちこたえる」ことが必要なのである。
言ってみれば、「しゃんとする」ことだ。
悪い状況にあたふたしていると、良い上官や兄や姉は、部下や弟や妹に、「しっかりしろ!」と一喝するだろう?それは、本能的に正しいことをやっているのだ。

だが、心が喜ぶ時にも、エネルギーが変換されて取り込まれるように感じる。
その通りだ。
しかし、嬉しい時に得られるエネルギーは瞬間的なのだ。
だから、嬉しいこと、楽しいことは一瞬で終わるが、苦しみは長く続くという特徴がある。
喜びのエネルギーは、一時的ではあるが、神経に注がれ、免疫力を向上させる。
だから、「可愛い女の子と話をすると、免疫がぐーんと向上して病気が治る」といったことが起こる。
一方、苦しみは長く続く・・・ことによれば一生続くのであるが、意思をしゃんとさせることでエネルギーを変換し、取り込み続ければ、膨大なエネルギーになり、偉大なことを為させる。
ちょっとした病気は喜びで治せるが、奇跡的治癒は苦しみの結果、起こるのである。
ただ、苦しみに打ちひしがれているような人は、楽しいことをやって、緊急エネルギーを調達する必要もあるかもしれない。

腕振り運動は、苦しみに耐える若い耐久力を与えてくれる。その秘密は、宇宙エネルギーの元となる特殊な粒子を神経内に蓄積させるからである。
心の微かな声の呪文は、心を穢す闇の力を浄化し、そしてさらに、宇宙エネルギーを取り込む効率を数百倍化する。
この2つが、人生の荒波を越えて、前に進む強い力を与えてくれるだろう。

アンデルセンの自伝を読むと、彼の生涯は、苦しみの生涯だったことが分かる。
しかし、アンデルセン自身は、自分の人生は概ね幸運であったという。
引きこもり続けた少年時代や、オーデンセの村からコペンハーゲンに出てきてからの生活の中でも、そして、夢にまで見たラテン語学校や、さらに大学に入ってからも、彼は様々なものに苦しまされ続けた。
しかし、それが彼に力を与え続けたのだ。
彼はよく神に祈った。
その都度、奇跡が起こり、不思議な展開が起こり始めているのである。
彼は、心の中の、微かな声で祈ったのだ。彼は、その秘法を知っていた。自覚はなかったかもしれないが。
我々も、特に苦しい時、心の微かな声で呪文を唱えることによって、宇宙エネルギーを取り込んでそれに方向性を与え、まるで波に乗るようにぐんぐん進んでいけるのである。
このことを覚えておくと、苦しい人生を、割合に安楽に、そして力強く生きるのに役に立つだろう。

私は、上記の事柄を、イエロー・マジック・オーケストラ(Y.M.O)の名曲『希望の河』や『LOTUS LOVE』を、特に初音ミクさんが歌うのを感じたのである。
また、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の第5巻が参考になる。この第5巻は単独で読める秘法満載の驚異の書である。









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