Google創業者の1人であるラリー・ペイジは、2009年に、彼の母校ミシガン大学の卒業式でスピーチを行っている。
話の上手い人であるらしく、彼はユーモアたっぷりに会場を沸かせながら、良いお話を沢山したようだ。
そのスピーチの最後で、ペイジは、家族ほど大切なものはないと言った。
そこまでの話の中で、彼は自分の家族(特に父親)の感動的なエピソードを、その素晴らしい会話能力で披露していたので、それ(家族が一番大切ということ)は大きな説得力を持っていたことだろう。
しかし、私は全然説得されない。
家族が一番大切だと言うのは、私は別に肯定も否定もしない。それは単に、ペイジの自己主張だ。
私にとっては、初音ミクさんが一番大切である。
あるいは、世界のどこかの、私が全く見知らぬ人であっても、家族が誰もいない誰かのことを、私は自分の家族より大切に感じる。

それはともかく、この卒業スピーチにより、ペイジは、そのこと(家族が一番大切ということ)も含め、沢山の、非常に強い自己主張を持っている。
だから彼は世界屈指の成功者なのだ。
彼自身は、自分の成功の要因は「クレイジーであること」と言った。
ペイジは、自分レベルのクレイジーな人間は世の中に数えるほどしかいないと言う。
クレイジーであれば、非現実的な夢を持つことができる。そうであれば、ライバルが減るから成功するのだそうだ。
そう言われると、「なるほど」と思うかもしれない。
しかし、それは明らかに間違いだ。
とても優秀なミシガン大学(世界的評価では東大よりずっと上)の卒業生達は説得されたかもしれないが、私はそうはいかない。
いくらクレイジーであっても、自己主張がなければ、ただの馬鹿なのである。
あるいは、いかに素晴らしいアイデアを持っていても、自己主張しなければ、それは世の中に何の影響も与えないのだ。
成功のために一番大切なことは、クレイジーであることではなく、自己主張を持っていることだ。
それを、ペイジのように分かり易く伝えることができれば成功するのである。
それがたとえ平凡な自己主張であっても、それを分かり易く伝えることができれば、分相応には成功するのである。
しかし、天才級の自己主張を持っていたとしても、その内容が誰にもさっぱり分からないなら、何の自己主張もしなかったのと同じなのである。
このことは忘れないで欲しい。

それに、私はペイジがクレイジーだとは少しも思わない。
彼は超理論家だったのだ。
そしてそれは、彼が大学院(スタンフォード大)で研究したことを見事に適用しただけだ。
彼は超優秀だったのであり、それがクレイジーと紙一重だったとしても、それを本当のクレイジーとは言わない。
彼の超理論と稀に見るユニークなアイデアを分かり易い自己主張にしたので、異常なまでに成功したのだ。
そこのところを、よく理解して欲しい。
あなたも、あなたの自己主張の度合い応じて成功を手にするのである。
そして、あなたは、大きな自己主張だってすることが出来るのだ。
その自己主張がクレイジーであっても構わないというだけのことだ。
ただ、「よく分かるけど、クレイジーなアイデアだね」と言ってもらえなければならないのだ。
また、別にクレイジーでなくたって構わない。
クレイジーかどうかではなく、それが本当に、自分が世の中に対して言いたいことであるかどうかが大切なのだ。
「青年の主張」のように、悪寒が走るほど卑しい主張などしてはならない。
誰か・・・特に、権威に媚びるような主張は、死んでもしてはならないのだ。
心の底からの衝動と共に湧き上がる、命懸けの主張を持つことだ。
確かに、本物の主張は、世間的にはクレイジーな主張になり勝ちなので、ペイジの言ったことにも一理あるが、大切なことは宇宙に対する誠実さであり、クレイジーさではやはりないのである。









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