職業選択の自由なんて大嘘だなあと思う。
少なくとも、トライするのは自由だと思っている人がいるかもしれないが、それも大間違いだ。
例えば、プロ野球選手やプロサッカー選手になることにトライするのが自由と言ったって、そんなものになれるのは、ごく僅かな特殊な人間だ。
だが、そんな特別な職業に比べ、多少、なれる割合が高いものであっても、およそ専門職というのは全てそうなのだ。

私は、コンピュータープログラマー(ソフト開発者全般という意味で言っている)なんて、誰でもやれるものだと思っていた。
しかし、これすら適性というものがあり、少なくとも8割の人間は、この仕事でやっていけない。
私は、専門性のない、まだ若い人達に、プログラマーになるよう指導してみたが、ほとんどの者が、話にならなかった。

アメリカでは、オバマ大統領が、「全てのアメリカ人にプログラミングを学んで欲しい」と言ったそうだが、それは決して、全てのアメリカ人がプログラミングをちゃんとマスターできるという意味ではない。
アメリカのcode.orgという団体の代表が、「プログラミングの仕事が外国に流れてアメリカは損失を被っている。この仕事をアメリカが得れば経済は発展する。だから、アメリカ人全員がプログラミングを学べるよう、プログラミングを、数学や化学と同じ、学校の正規学科にすべし」と言っているが、数学や化学を職業でやれる人がほとんどいないのと同様、プログラミングだって、専門でやれる人は滅多にいないというのが事実なのだ。ひょっとしたら、彼(code.org代表者)は純粋にそのことに気付いていないのかもしれない。

ところで、私が最初にやった仕事はセールスマンだった。
違法とも言える、売らなければ一円ももらえない、完全歩合制(フルコミッション)のセールスであった。
違法と言うが、これが最も自然な形態の仕事である。動物が、食料を見つけたり、狩りに成功しなければ食べられないというのと同じようなものだからだ。
起業した社長なんてのは、完全歩合制の典型と言えるはずで、社長というか自営業こそが、実は、最も根本的な職業なのである。
ところが、完全歩合制のセールスの仕事場に来るのは、世間の落伍者やはみ出し者ばかりだった。
ほとんどが、他の仕事に就けないので、仕方なくやってきた連中ばかりだった。
つまり、一見、セールスマンは、はみ出し者が取り組む、誰でもできるはずの仕事なのだ。
しかし、10人入ってくれば、翌月には1人残っていればマシだった。
つまり、プロセールスマンなんて、プロスポーツ選手に準じるほど、専門的で困難な仕事なのだ。それは、やってみた実感としても分かった。

誰でもできる仕事は、サラリーマンだけだ。
そして、サラリーマンの実情とは、工場労働者のようなものなのだ。
実際、ドイツで始まった現在の世界の学校教育の目的とは、工場労働者の養成であり、外国のことは知らないが、日本の教育は、その典型的な形を守り続けているのである。
日本の学校教育への批判は多く、それらはいちいちもっともだが、工場労働者養成を目的にした教育であることを考えれば、合理的で文句のつけようがない。
プロサッカー選手も、プロセールスマンも、プログラマーも工場労働者ではない。
学校教育を受けた者は、いかなる専門職にも向かない。

私は最初、プロレスラーになろうと思っていた。
しかし、プロレスラーになるためには、生まれつき、よほど頑強な身体に恵まれていなければ不可能だ。
もちろん、素質があっても、訓練をしなければその才能を伸ばせないのは、どんな専門職でも同じだが、根本的に、生まれつき、並外れて強い身体に恵まれていなければ、プロレスラーにはなれない。
私は、残念ながら、プロレスラーになる資格を満たすほどの強靭な身体に生まれていなかったのだ。
だが、私が、セールスマンやプログラマーなら、曲がりなりにも通用したのは、12歳で学校と決別したからだろう。
それでいえば、私に、「絶対に顔も見たくない」と思わせてくれた教師達に感謝すべきだろう。
実際に、教師の顔をなるべく見ないようにし、授業は一切聞かず(出席はしていた)、夏休みの宿題なんて、絶対にやらなかった(そのために随分ひどい目に遭わされたが)。
私は工場労働者としては使い物にならず、普通のサラリーマンでは問題ばかり起こす落伍者だったが、セールスマンやプログラマーといった、実質スペシャリストであればうまくいった。

セールスマンやプログラマーになるのに、一定以上の能力が必要なのかどうかは分からないが、多分必要だ。
セールスマンになるには、闘争心や、おべんちゃらを言って相手に取り入る能力(これほど強力な能力も珍しい)が、プログラマーであれば、ある程度の論理性や記憶力が必要だ。
しかし、それは、大工でも板前でも、何でも、およそどんな専門職でも必要なことだ。
だが、サラリーマンに関していえば、それらはあまりなくてもやっていけるのである。
むしろ、あまりに闘争心のあるヤツ、人の機嫌を取るのが上手いヤツ、理屈好きなヤツ、物覚えの良いヤツは、サラリーマンになれば、それらの能力を封印され、ストレスを感じるだろう。

つまり、現実的なことを言えば、職業選択の方法は2通りと考えて良いと思うし、少なくとも、大きな指針にはなる。
1つは、工場労働者的なサラリーマン。
これは、決して卑下の意味はなく、学校に馴染む優等生が幸せになれる仕事である。
もう1つは、スペシャリスト。
こちらは、学校に馴染まない、工場労働者向きでない、自分の腕で勝負する職業で、ある意味、自然な職業なのだが、野生動物的で、博打人生であるとは言える。
学校が快適で楽しいものであったなら、是非、サラリーマンになるべきである。
しかし、学校が面白くなければ、学校とは、自主的に、なるべく早く決別し、自分の道を探すべきで、周りの大人も協力してあげるべきである。
それが、人々が幸せになれる手近な方法である。
ただし、現在は、サラリーマン向きの人達を、派遣社員という、サラリーマンのメリットを抜き取った立場にして地獄に落とす動きが蔓延しているのである。
この問題はまた大きなものなので、今回は取り上げなかった。









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