海外の人が、日本の相撲を見ると、その高貴さに打たれるという。
いったい何に感動するのだろう?
土俵入りなどの儀式的なところだろうか?
それなら、ムエタイ(タイ式ボクシング)にもあるが、それほどのこととは思えない。
相撲の最も際立った特徴は、立会いである。
対戦する両者の呼吸がぴったり合っていなければならず、わずかでも速いか遅いかがあれば、取り直しとなる。
これは、感動なんてものではなく、驚愕、驚天動地ではないだろうか?
だって、スポーツも格闘技も、奥義は、「呼吸を外すこと」じゃないか?
いかに相手の呼吸を読んで、それを外し、だまくらかして勝つかがスポーツ選手の飯の種なのであり、それは卑怯でも何でもない。
野球で、ピッチャーが直球勝負するのは、確かに見応えがあるが、世の中、剛速球投手ばかりじゃない。
フォークボールなんて完全に騙しだし、変化球全般がそうだ。
ツーシームなんて変化球は、ストレートとの違いが最後まで分からないから有効なのであり、チェンジアップとなるともう、バッターにとっては詐欺以外の何ものでもない。
(チェンジアップとは、速球を投げるようなフォームや表情で軟球を投げてバッターのタイミングを外すような投げ方のこと)
だが、それで文句を言う選手もファンもいない。
どれほど真面目な野球解説者でも「チェンジアップって卑怯ですねえ」なんて言ったりするだろうか?
相撲ってのは、直球勝負以外は駄目と言っているようなもので、そりゃ感動する。
立会い後の変化や、タイミングを外した突き落としも、小兵力士や下位者にのみ許されるようなもので、横綱、大関がやるとしたら、いかにも、「わざとじゃない」ようにやらなければならず、「自然の流れでそうなった・・・」と、まるで八百長の弁解じゃないか?
だから、力士が他の格闘技に転向したら、最初、凄い苦労すると思う。
ただし、他の格闘技の「汚い部分」に慣れることができれば、直球勝負の地力があるのだから、恐ろしく強い。

宮本武蔵の『五輪書』を読むと、武蔵は決して、直球勝負しろなんて書いていない。
勝つことが何より大切なことであり、徹底して敵の呼吸、タイミングを外し、イラつかせ、ムカつかせて勝てと書いている。

男が女性と口喧嘩すると勝てない。
また、実は、口喧嘩は、頭の良い方が不利だ。
男は普通、理屈で攻める。しかし、論理性を重視しない女性は、理屈で考えられないようなことを言ってくるので、理屈屋の男ほどタイミングを外されて、何も言えなくなる。
そもそも、女性が意味ありげにくすりと笑うと、頭の良い男はいろいろ勝手に考えて自滅するだろう。
また、頭の良い人とは、論理に強い人であるが、そんな人が自信満々で論理展開しているのに、馬鹿というのは、自分勝手な理屈(ひどく非論理的)を主張をし、賢いほうは、論理的な処理ができず、黙り込んでしまう。
ネットでのバトルというのも、明らかなに馬鹿な方が有利である理由はそこにある。
尚、女性の場合は、論理が分かりながら、確信犯的に理屈をかわす人がいるが、これはもう本当に手強い。また、単に感情的な女性も、論理で説得できない。
自分が理論家だと思う人は、馬鹿な男や、本当は賢い女性、および、本当に賢くない女性(つまり、女性全般)相手に喧嘩しないことだ。
また、賢い人はネットでバトルなんかするな(馬鹿の扱い方を本当に知っている場合は別かもしれないが)。

さて、戦争でも、外交でも、ビジネスでも、相手の呼吸を読み、タイミングを外さなければ勝てない。
「正々堂々の戦争」なんて変じゃないか?
これは、「正々堂々の外交」、「正々堂々の政治」、「正々堂々のビジネス」なども、実は有り得ないことを意味するのだ。
外交でも、政治でも、ビジネスでも敵はいる。
敵はこちらに合わせてくれない。
野球だって、野村克也さんはキャッチャーだったが、バッターに話しかけて、バッターのタイミングを狂わせることに努力したから名捕手だったのだ。
誰が野村さんを「卑怯者」と言う?

ユダヤ人のビジネスは、まさにそれ(呼吸を読み、タイミングを外す)で、しかも、それを知性と経験を最大に活かしてやっている。強いなんてものではなく、本当に恐ろしい。
以前ご紹介した『ユダヤ議定書』という、ユダヤ戦略(政治、外交、ビジネス全てに有効)の兵法書は、もう、本当に危ない秘伝の書だ。
『ユダヤの世界支配戦略』に全文があるから、世界征服に関心があれば読むと良い。
これを、山蔭基央さんのような立派な神道家が本にしたのは、本当にユダヤ人の危険を感じていたからだろうと思う。
格闘技でいえば、もう絶版になっていて、危な過ぎるので復刻しないような気がするが(古書も高価だ)、『秘密の自己防衛術』(ビクトル古賀著)が、実用を通り越して、本当に危険だった。
例えば、男に連れて行かれそうになったら、女は男の腕に抱きついてぶらさがるようになり、そこで、一気にその腕を上に挙げる・・・って、それ、簡単に肩が抜けてしまう。
そんなテクニックが延々書かれている。
そりゃ、やむを得ない場合もあるに違いないが、おおっぴらに教えるのもいかがなものか・・・いや、何とも言えないが・・・。
尚、ビクトル古賀さんは無敵の偉大なサンボマスターで、本当に凄い、偉い人であることを強調しておく。
私は、彼の本から、フリッカーパンチを学び練習し、いざという時の備えにしているが、あくまで気分的にである。それよりも、うまく逃げることだ。

あまりに正直で、理屈屋というのは、ある意味、視野とか了見が狭過ぎるのかもしれない。
スポーツでも、ビジネスでも、恋愛でも、許される範囲の戦略はあるだろう。
それが分かり、駆使できる賢さがなければ、この世では勝てない。









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