人間にとって、感情というものは厄介な問題でもある。
アメリカのSFテレビドラマ『スター・トレッック』のミスター・スポックは、バルカン星人と地球人のハーフだが、スポックはバルカン星人であることにアイデンティティと誇りを持っている。
バルカン星人には感情がなく、スポックもそのことを尊いものと思っているので、自分も決して感情を表さず、感情豊かな人間を時に見下す。
ある時、ある宇宙人の精神操作で、無理矢理に感情を発揮させられたスポックが落ち込んでいるように見えたので、ドクター・マッコイが、
「スポック、たまには感情を発散させることは身体に良いんだよ」
と慰める。
だが、スポックは、
「私は、別に気にしていません」
と、平気であることを強調する。
スポックでなくたって、人によっては、感情を出すことを恥と考えたり、未熟な証しとして嫌う。
だが、やはり、感情は出すべきものと信じている人もいる。
いったい、何が正しいのだろう?

感情は、ほとんどの人が気付いているように、必要なものだし、必要どころか、豊かでなければならない。
とはいえ、怒ったり、はしゃいだりし過ぎてもいけないし、悲しいことがあったからといって、いつまでも悲しむべきでないことも分かると思う。
「さあ、あのことを思い出して、また、大いに怒ろう」
とでも考えているような、悪いことをいつまでも忘れず、他人の悪意をいつまでも根に持ったり、失敗をいつまでもクヨクヨする人は多い。
そんな者は、やっぱり愚か者なのだ。
では、感情とは抑えれば良いのだろいうか?

結論はこうである。
感情は、発散させるものでも、抑圧するものでもない。
正しくは、解放するものだ。
感情の存在は認めるが、それを手放すと、化学反応のようなことが起こり沈静化する。
なぜなら、解放することによって、感情からエネルギーが消えるのだ。
消えたエネルギーは、自分の心や身体に蓄積される。
エネルギーは、身体や心の活力になり、強さと賢さを得られるのだ。
静かな人が、強く、賢いのはそのためである。
もし、バルカン星人がいて、彼らが、感情を持たないことを尊く考えているなら、感情を解放する能力の価値を分かっているということだ。
だから、やはり、正しい表現としては、「感情を持たないことが尊い」ではなく、「感情を解放する力を持つことが尊い」である。

感情を解放するにはどうすれば良いだろう?
いろいろある。
感情を起こさせた出来事のイメージを次のように操作する。
小さくする、遠くに飛ばす、静止させる、暗くする、モノクロにする、主観的でなく客観的なイメージにする、静寂なBGMつきにする・・・等で、これらを組み合わせても良い。
悪い思い出を、「忘れなさい」と言うことがある。
そのためには、上に挙げたようなことをやれば良い。
本当に忘れなくても良いのだが、小さく、静止した、モノクロの、遠いものにしてしまえば良い。
私が好むやり方は、出来事を、本に書かれた物語と感じ、その本の紙がすっかり古く茶けている様子をイメージすることだ。

では、良い思い出はどうすれば良いのか?
NLP(神経言語プログラミング)では、そんな思い出は、大きく、明るく、カラーにし・・・と、上に挙げた、悪い思い出に対することと反対のイメージにするよう教えているが、私は賛成しない。
取り立てて暗く、小さくする必要はないが、エネルギーを注ぎ込まず、自然に、ゆっくりとで良いが、やはり解放することだ。
でないと、昔の自慢話ばかりする不幸な老人になってしまうだろう。
楽しいこと、苦しいこと、嬉しいこと、悲しいことは、これからも沢山起こるのだ。
過去のことは忘れ、それにエネルギーを注入するような無駄をしてはならない。
過去の栄光など、たとえそれが金メダルであろうと、もう忘れるのだ。
「じゃあ、尊い思い出も忘れろってのですか?優しいお母さんや、別れはしたが素敵な恋人のことも?」
と言うなら、イエスである。
「きらめく思い出」などと言う。
本当に尊い思い出は色褪せない。
それは天使が預かってくれると思って、やはり解き放つのだ。
自分で握り締める・・・つまり、エネルギーを無駄に送り込んではならない。
素晴らしい思い出は、大切な友のようなものだ。
そのような友は、自由にさせるべきである。









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