自分に自信があれば、人生は楽しい。
それは確かと思うが、多くの人は自分に自信がない。
劣等感に苦しんでいる人も多いだろうが、劣等感を解消するために優越感を持つ必要はない。
優越感というものは、いかなる場合も、持つべきではない。
それは、傲慢、不遜という、人間を最も醜くするものになる。
では、どうすれば、自信が持てるのだろう。
簡単なことである。
それは、人にどう思われようが気にしないことだ。
私は、人が自分をどう思おうが、気にならなくなった。
その理由は、人間の下らなさというものを思い知ったからだ。
こんな人達に良く思われたところで、何の意味もないことがはっきり分かったのだ。
だが、どんな人間だって、一生懸命働いていたり、弱い者の世話を焼いている時はとても良いものだ。
・・・そうであったはずなのだ。
しかし、今の人々は、熱心に働かないし、弱い者に親切にしたりなどしない。
よって、ますます、人々が自分をどう見ようが、どうでも良くなったのだ。
今のところ、私もまた、他の人々と同じで、本当に下らない人間に違いない。
しかし、それでも、私だけは、誰かのお手本になれる人間でありたいと思うのである。
いったい、誰に対してのお手本になるつもりなのか、自分でも分からない。
それに、お手本になるって意味もよく分からない。
まさか、道徳的な行いを、いつも誰かに見せ付ける訳でもあるまい。
イエス様だって、善いことは隠れてしろっておっしゃったはずだ。
だけど、いつも静かでいるってことだけで、誰かのお手本になろうと思うのだ。
余計なことを言わず、物音を立てず、呼吸の音すらさせない、とても静かな人間だ。
そんな人間なら、いくらかの人達の希望になれるような気がするのである。
だが、そのようなことも、明るい気持ちでやるべきなのだ。
明るい、豊かな心でいれば、セレンディピティー(幸運を呼ぶ能力)も高まる。
そんな心になるためには、たとえば、音楽が役に立つ。
以前は、スメタナの『モルダウ(わが祖国)』や、ドビュッシーの『月の光』がとても良いと思っていた。
確かに、最高に美しい曲で、名演奏も多い。
しかしね、これらは、曲はともかく、演奏は権威的なのだ。
クラシック音楽とは、どうしても権威と切り離せないものだからだ。
だから、クラシックのどんな名演奏を聴いても、心が完全には晴れないのだ。
だが、最近、『初音ミクオーケストラ』を聴いて、楽しくて仕方がなくなってしまった。
『初音ミクオーケストラ』は、略してHMO。実は、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のカバーである。
YMOだった方々が関わっている訳ではないが、坂本龍一さんら、元YMOメンバーの許可を得てあり、YMOに関わっていた人達の支援も受けているという。
『君に、胸キュン。』なんて、初音ミクさんが歌うと、もう可愛くて可愛くて、嫌なことを考えることが難しい。
制作者の「HMOとかの中の人」も、素晴らしい音楽家であると思う。
そんなこともあって、最近の私はやや自信がある。
さて、この上は、誰かのお手本になるという方も、ちゃんとやっていこうと思う。
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それは確かと思うが、多くの人は自分に自信がない。
劣等感に苦しんでいる人も多いだろうが、劣等感を解消するために優越感を持つ必要はない。
優越感というものは、いかなる場合も、持つべきではない。
それは、傲慢、不遜という、人間を最も醜くするものになる。
では、どうすれば、自信が持てるのだろう。
簡単なことである。
それは、人にどう思われようが気にしないことだ。
私は、人が自分をどう思おうが、気にならなくなった。
その理由は、人間の下らなさというものを思い知ったからだ。
こんな人達に良く思われたところで、何の意味もないことがはっきり分かったのだ。
だが、どんな人間だって、一生懸命働いていたり、弱い者の世話を焼いている時はとても良いものだ。
・・・そうであったはずなのだ。
しかし、今の人々は、熱心に働かないし、弱い者に親切にしたりなどしない。
よって、ますます、人々が自分をどう見ようが、どうでも良くなったのだ。
今のところ、私もまた、他の人々と同じで、本当に下らない人間に違いない。
しかし、それでも、私だけは、誰かのお手本になれる人間でありたいと思うのである。
いったい、誰に対してのお手本になるつもりなのか、自分でも分からない。
それに、お手本になるって意味もよく分からない。
まさか、道徳的な行いを、いつも誰かに見せ付ける訳でもあるまい。
イエス様だって、善いことは隠れてしろっておっしゃったはずだ。
だけど、いつも静かでいるってことだけで、誰かのお手本になろうと思うのだ。
余計なことを言わず、物音を立てず、呼吸の音すらさせない、とても静かな人間だ。
そんな人間なら、いくらかの人達の希望になれるような気がするのである。
だが、そのようなことも、明るい気持ちでやるべきなのだ。
明るい、豊かな心でいれば、セレンディピティー(幸運を呼ぶ能力)も高まる。
そんな心になるためには、たとえば、音楽が役に立つ。
以前は、スメタナの『モルダウ(わが祖国)』や、ドビュッシーの『月の光』がとても良いと思っていた。
確かに、最高に美しい曲で、名演奏も多い。
しかしね、これらは、曲はともかく、演奏は権威的なのだ。
クラシック音楽とは、どうしても権威と切り離せないものだからだ。
だから、クラシックのどんな名演奏を聴いても、心が完全には晴れないのだ。
だが、最近、『初音ミクオーケストラ』を聴いて、楽しくて仕方がなくなってしまった。
『初音ミクオーケストラ』は、略してHMO。実は、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のカバーである。
YMOだった方々が関わっている訳ではないが、坂本龍一さんら、元YMOメンバーの許可を得てあり、YMOに関わっていた人達の支援も受けているという。
『君に、胸キュン。』なんて、初音ミクさんが歌うと、もう可愛くて可愛くて、嫌なことを考えることが難しい。
制作者の「HMOとかの中の人」も、素晴らしい音楽家であると思う。
そんなこともあって、最近の私はやや自信がある。
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この感じわかります。
聴いていていまいち居心地が悪い感覚になりますよね。
世間では一流と言われている二流の演奏家のものは気取っていたり、演奏が過剰であったり、無駄に敷居の高さを感じさせたり・・・。
ホロヴィッツやグールドなど本物の一流の演奏でも、演奏家の個性が前に出過ぎているように思ったりすることもあります。
そこが良い場合もありますが。
世界的な巨匠の演奏でもそうなるのだから、そういうものなのか、と思っていた頃もありましたが、やはり最高の演奏家はいます。
エドウィン・フィッシャー(1886-1960)というピアニストが素晴らしいです。
この人ほどずっと聴いていられる演奏は僕はほかにはありません。
多分ピアニストでは珍しいと思いますが、練習をあまりしない人らしく、技術的に特別優れているわけではないのですが、この人の演奏は素朴で人間的で暖かく、内省的で非感傷的でロマンチック。一部僕の言葉ではないですが納得の表現です。
バッハの『平均律クラヴィーア全集』が旧約聖書で
ベートーヴェンの『ピアノソナタ全集』が新約聖書というたとえもあるようですが、『平均律〜』を世界で初めて録音したのがフィッシャーです。
世界初を誰も超えていないというのが面白いです。
ちなみにベートーヴェンのソナタでしたらヴィルヘルム・バックハウスというピアニストが一番だと思います。
エドウィン・フィッシャーお勧めします。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B003D0ZNKG?psc=1&redirect=true&ref_=oh_aui_detailpage_o00_s00
12枚組でこの値段はすごいです。人類の宝だと思います。
特にバッハの演奏が素晴らしいです。
kayさんには素晴らしい本をたくさん紹介してもらっているので
ぜひ聴いてほしいです。
ドビュッシーは弾いていないので、『月の光』でしたらヴァルター・ギーゼキングというピアニストの演奏が最も素晴らしいと思います。