私は子供の時、雑誌に載っていた、「フランスの片田舎で見かけた少女」というスナップ写真に見入っていた。
この人は、どんなふうに育ち、この写真が撮られた頃は、どんな生活をしていたのだろう?
そんなことを考えると、想像が果てなく広がる。
もう10年以上、前の写真という。
では、この人は、この後、どんな人生を送っているのだろう?
今は、どうしているのだろう?
私は、1日中でも考えていられそうだった。
私は、その写真の少女の人生の物語を考えていたのだ。

作家の小川洋子さんが、30年前の日航機墜落事故に関する、当時の本を見た時、その頃のことだから、その本には、犠牲者の方々の、氏名、年齢、住んでいる地域、なぜその飛行機に乗ったかなどが、淡々と書かれていて、それを見ていると、1日中でも読んでいられたという。
やはり、その一人一人に人生の物語があるのだということを感じていたと、述べられていた。

人間の一生の物語は、なんと荘厳で凄いものだろう?
そう思わないだろうか?

アンデルセンの自伝の中の、彼がイタリア旅行をした時のことが、とても印象的だった。
彼は、日本では徳川12代将軍あたりの時代に、ヨーロッパの様々な国を、全くの私的に、鉄道や馬車や客船などで旅行していたのだ。
アンデルセンは、イタリアのペストゥームのギリシャ神殿で、石段に座った、黒髪に青いスミレの花を差した盲目の少女に出逢う。
ボロをまとった貧しい少女であったが、そのあまりの美しさに、アンデルセンは、「美の女神の化身のようであった」と記している。
アンデルセンは、後に、『即興詩人』という小説を書いた時、この少女をモデルにした、ララという名の、やはり盲目の絶世の美少女を登場させている。
年齢も、「11歳より多くはなし」と、あの少女を忠実に再現していたようだった。
そして、私は、10年以上も考えているのだ。
あの少女が、どんなふうに生まれ、育ち、そして、あの時、どんな生活をしていたのだろうか?
そして、その後、どんな人生を送ったのだろうかということを。
おそらく、あまり良い人生を送ることはできなかっただろう。
とても苦しい人生だった可能性が高い。
だが、転生した次の生では幸福になれただろうか?
そんなことばかり考えている。
それは、あの、美の女神の化身のような少女の物語である。

そんなことを考えていると、私は、人間の人生の値打ち、人間の魂の値打ちを、しみじみと感じるのである。
また、一人一人の人間の尊さを想うのである。
そして、我々は皆、自分の人生の物語を自分で創っているのである。
そいういったことを忘れてはならないと思う。









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