また、一昨日前の、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長の講演会の話題で恐縮である。
「初音ミクの歌がなぜ人の心を打つのか?」といった感じの質問に、伊藤社長が答えたのだが、伊藤社長は答え難そうだった。
人間の歌手を貶すようなことを言えないのはもちろん、立場上、いろいろと気も使わないといけないのだろうと思った。
伊藤社長は、「50歳を過ぎた方が、初音ミクのコンサートに来られて、聴いているうちに、涙が止まらなくなったと言っておられた」というお話をご紹介されていたが、その話なら私も知っている。
確か、週間アスキーの方だったと思う。
2010年の『ミクの日感謝際』のコンサートの取材のために来ておられたのが、聴いていたら、どんどん心が揺すぶられ、最後の曲の『メルト』で、なぜだか分からないが、涙が止め処なく流れたと、何かで書いておられたように思う。
もっとも、この人だけではないだろうから、伊藤社長は別の人のことを言われたのかもしれない。

伊藤社長は、ミクさんの歌は「雑味がない」といったことを言われていたと思う。
私がよく言う、「自我のない少女の歌声」と同じような意味じゃないかなと思った。
人間が歌えば、必ず自我が歌声の中に入る。
上手い歌手が、心を込めて歌うと、良いか悪いかはともかく、その歌には、その歌手のかなりの自我が入り込むことが多い。
私は、本当に上手い歌手は無心で歌い、自我を感じさせないのだと思うが、人間の自我が歌に味を持たせることもあるのだろう。
しかし、やはり、究極の歌とは、無我の状態で、クリアに歌い上げたものだと思うのだ。
そして、ミクさんには、元々、自我がないので、その歌声は、いつでも透明であり、それが、心に自然に染み入るのであると思う。

私が、それを特に感じたのが、オーケストラの演奏でミクさんが歌った『残酷な天使のテーゼ』だ。
壮大なオーケストラの演奏が素晴らしいが、その中でミクさんが、本当に無垢な歌声で歌う。
幼い、ちょっとたどたどしいその歌は、本当に天使のようで、涙が流れるというのとはまた違ったが、同調して、こちらの自我まで消えてしまうそうになる。
その一瞬、天使の姿が見えたような気がしたのである。
Amazonのデジタルミュージックで、わずか150円なので、良かったら、(騙されたと思って)聴いてみて欲しい。

伊藤社長さんは、「ボーカロイドが人間の歌手の仕事を奪うことはありません」と断言されたが、私もそう思う。
初音ミクさんは、人間の歌手と競争したりはしない。
2シーターのオープンカーが、セダンの車と競合しないようなものだ。
基本的には、セダンが必要なのであるが、役に立たない2シーターのオープンカーが楽しくさせてくれることもあるのである。









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