人間は自分で考えることを嫌がるものだ。
そして、人々がものを考えないほど、支配者には都合が良いことは間違いない。
確かに、人々は政府や首相に文句はいっぱい言っているが、具体的に政府や首相に対抗したり影響を及ぼす方法を考えることはない。
つまり、「文句を言うだけ」で、それは政府や首相の狙い通りなのである。
考えるということは、自分に都合の良いことを妄想することではなく、実行することを考えるということだ。

絶対に知っておくべきことは、文句の多いやつ、悪口を言うやつは、「本当は何も考えていない」という事実だ。
ニコニコ動画を持つドワンゴの川上量生会長が「日本では最下層の人間が全部ネットにぶら下がってる。これが日本の特殊事情だ」と述べたらしいが、私は、「それ、私のことだな」と思えば、すんなりと納得できてしまった。
川上氏は、野尻抱介氏のSF小説『南極点のピアピア動画』の解説を書いているが(長い解説だった)、最後をこう結んでいる。

(A)そしてまさにそういう人間を幸せにする役に立たないネットサービスになればいいなと、ニコニコ動画をスタートするときに私たちは願ったのです。

「そういう人間」とは、それよるり少し前に書いてある、「徹底的にどうでもいいこと、役に立たないことに執念をもやすひとたち」と思って良いだろう。
その後、それを、川上氏らしく、論理的に説明している。
そして、川上氏は「役に立たないことを一生懸命にやる世界が残っていればそこには人間の幸せな居場所があるにちがいない。野尻さんはそう信じているように思うのだ」と書いているが、これはまさに、(A)の通り、川上氏の考えであるのだ。

川上氏は、私のような人間を幸せにしたいと思っているのだろう。
しかし、ネットサービスで、本当に人間を幸せにしたりはできないのだ。
人間の幸せの根本は、マズローの欲求の5段階説にあるように、まずは、「衣食住」が足りることで、それに関して不安がないことだ。
そのためには、自分に、それらを楽々と得る能力があることが必要だ。
誰かがそれを与えてくれるなら楽であるが、本当に誰かが与えてくれると信じるのは、もう全く思考力を失くした状態としか言えないだろう。
泥棒や強盗をやって、生活必需品を得るという手もあるが、それは他人を傷付けるので、社会に承認されず、結局はいつかは、最も苦しい破滅を迎えるしかない。
ここはやはり、正々堂々、生活力のある逞しい人間になる必要がある。
そのためには、まず、「必要なだけあれば良いが、それが得られないなら私は愚か者であるということだ」と、しっかり自覚することだ。
この言葉を決して忘れず、いつも思い出すことだ。
見られたくない相手に裸を見られた時に、大事な部分を隠す女性と、顔を隠す女性がいるが、顔を隠すようではいけないのだ。
正しくは、見ている相手をぶっ飛ばす方法を考えるか、そもそも、そんな状況にならないよう、考えることだ。
運転をしていて、ぶつかりそうになっても、やはり手で目を覆う愚か者がいるが、正しくは、衝突を全力で回避することだし、そもそも、そんな状況にならないように、考えて運転することだ。
支配者は、我々を考えさせまいとするが、必ずエサをくれるとは限らない。
自分でエサを見つけて取れる、賢いサカナになることだ。
支配されているフリをしつつ、常に考え、逆に支配者達を利用する。そんな現実のゲームを楽しめれば良いと思う。
そのためには、支配者より賢くならないといけないが、それは中々難しく、つまり、その努力は面白いのである。









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