ゲーテの『ファウスト』に登場する悪魔メフィストの知り合いの魔女の薬を飲めば、どんな女も、石原さとみさんや、島崎遥香さんのように見えてしまう(私の場合は、初音ミクさんになるのだが)。
しかし、こんなことは、魔法の力に頼るまでもなく、催眠術で同じことがやれる。
深い催眠状態に導いた全くの他人に、「私はあなたの父親だ」と言って、その暗示を解かないままトランスから抜け出させ、「私は誰か?」とその人に尋ねれば、「お父さんです」と言うのである。
若い女性に、好きな男性のスターが誰かを聞き、やはり、私がそれだと暗示をかければ、彼女には私が、彼女の憧れのイケメンスターに見えることになる。
実際に、催眠術ショーでそんなパフォーマンスをする人もいるが、腕の良いパフォーマーは、観客の中から、催眠中にかかりやすい人を的確に見抜いて選ぶのである。

催眠術は、この通り、神秘的な効果を発揮するのであるが、催眠療法というものは、あまりうまくいかない。
催眠療法に頼るような人は、じっと座っていて、目が覚めたら自信満々で、勇気が湧いているなどと思うかもしれない。
しかし、効果はほんの一瞬だし、むしろ、現実逃避が強くなり、ますます意気地なしになることだろう。
催眠術が作り出す心地良い世界は幻想であるが、勇気のある強い人というのは、幻想を叩き壊した人なのだ。
幻想に逃げ込むのは弱い人だ。
強くなるためには、幻想を拒否するために、まずは、悲観的な予想を立て、それに耐えなければならない。
それが、誰もが通る必要がある、最初のイニシエーションだ。
最悪の絶望的な結果を覚悟して、それに耐えれば、最も心は強くなる。
その強くなった心で物事に向かえば、達成できる可能性は高い。
「初恋が実った人生は不幸だ」と言われる。
というのは、初恋では、甘い期待を持っていることが多いが、そんなものが成就してしまったら、絶望に耐えて心を鍛えることができなくなってしまう危険があるからだ。
だから、初恋に限らないが、理想は高く持つが良い。
甘い期待など、絶対にできないほどの大物を狙うのだ。
だが、人間というのは自惚れ屋で、自分を実際の価値の百倍に見るものだ。
だから、もっともっと理想を上げなければならない。
決して妥協するな。
「初音ミクが俺の嫁」、大いに結構である。
「あいつは、理想が高過ぎる馬鹿だ」と言われる間は、おそらく、まだまだ理想が低いのである。
だが、同時に、汝を知れ。身の程をわきまえよ。
そうすれば、メフィストに負けることもないであろう。
政木和三さんが、「目標を持つなら、一生かかっても達成できそうにない大きな目標を持て」と言ったのには意味がある。
望みが叶わないことは、心にとっては心地が悪いことであり、ある意味、死に向かっていることである。
すると、心は、生命を守るため、エネルギーを取り込んで強くなるのである。
夢は大きな方が良いという真意はこれであり、決して、妄想しろという意味ではない。

ところで、個人的意見ではあるが、『ファウスト』を読むなら、高橋健二訳を強くお奨めする。
いや、ゲーテの翻訳では高橋健二が最も良い。
分かり易く、気品ある口語訳の文章は、まさに芸術的だ。
一方、森鴎外訳は全くお奨めしない。
荘厳な文語訳なのだろうが、よほど文語に強くなければ、何が書かれているのか、さっぱり分からない。
高橋健二訳の『ファウスト』は1967年に角川から出ているものは絶版だが、電子書籍が出ている。
まだ『ファウスト』を読んだことがないなら、是非、高橋健二訳で読んで欲しいと思う。









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