失敗したら、がっかりしたり、悔しかったり、あるいは、恥ずかしいと思う。
どうしても成功したかったことの場合、なかなかそれが消えず、やがて、怒りに変わる。
その時、何に怒るかで、自分の値打ちが決まる。
成功のために、けなげに、涙ぐましいまでの必死の努力をした場合、失敗の要因には不運というものが認められる場合が多い。
その分、嘆きも大きくなる。
しかし、「運も実力」と言うし、そもそも、不運は、あって当然である。
不運を嘆くうちは大したことはできない。
また、一般には、努力不足の自分に対して怒るのが健全とされる。
一応は真っ当だが、無理に努力しなければならないなら、得るべきものではないのだ。
つまり、最初から、目標が間違っていたのだ。

では、何に対して怒り、どこに、このやるせない気持ちをぶつければ良いのだろう。
それは、ただ1つ。
成功を予測していた甘い自分に対してだ。
成功して、周りの人達に「おめでとう」なんて言われている様子を思い描いていた、どうしようもなく甘ったれた、愚かで知恵のない自分に対して大いに怒らなければならない。
だが、そんな甘ったれた人間になるよう誘うものが、世間にはいかに多いことか。
近藤真彦さんのミリオンヒット『ミッドナイト・シャッフル』という歌は、私も結構好きなのだが、あの中に、「天使のような悪魔の笑顔」という有名なフレーズがある。
我々を甘ったれさせるのが、天使のような悪魔の笑顔ではないかと思う。

私は、システム開発の仕事を請け負った時、うまくいくと思ってやったら、大抵、まずい結果になり、悲惨を味わった。
逆に、どう考えてもうまくいくとは思えず、納期が恐ろしいと思っていたら、不思議なほどうまくいった。
もちろん、失敗したらタダでは済まないので、「どうでもいいや」なんて言ってられる状況ではない。
また、私はプログラマーをやる前にセールスマンをしていたことがあったが、見込み客のところに行く時、「あの客は絶対に落とせるぞ」なんて甘ったれた考えで行けば、この前まで好意的だった見込み客が豹変したと思えるほど厳しく断られた。
逆に、全く見込みがあるとも思えず、行くだけ時間の無駄だなあと思いつつも、行くしかないといった場合には(会社には「契約できるまで帰ってくるな」と言われている)、すぐに向こうが進んで契約書にサインしてくれた。

セールスマンが契約を取ってこなくても殺されたりはしないと思うかもしれないが、やっている本人としては、殺されるような気分なのである。
なら、殺されてやると思うしかない。
私は、買う側として若い女性セールスマン(新入社員だという)と交渉したことがあるが、私は彼女の競合相手を選び、彼女には断りをしたことがある。
彼女は、笑顔で、これまで(計10回位の交渉)相手をしてくれたことを感謝したが、涙を流していた。
以前は、良い涙だと思ったが、今はそうは思っていない。
薄汚い、卑しい涙だ。
彼女が、あんな企画・提案、交渉で買ってもらえると思っていたとしたら、あまりに甘いのである。
きっと彼女は、見事契約して、上司に誉められ、同僚に賞賛され、同期の新人達に羨望の眼差しで見られでもしたかったのだろう。
だから、悔し涙が出たのだ。
自分は失敗して当たり前で、結果、上司には罵倒され、同僚には見下され、同期の者達に嘲笑される。
それを受け入れていれば、泣いたりはしない。
実際、あの時、私は罪の意識を感じたものだが、そんなものを感じさせる時点で失格である。
実は、そんなことが3度あった。
一度は、相手は、ある有名なIT企業だったが、担当の素晴らしい美人の外交員は、断られて意外という顔をしていた。
しかし、競合他社は2000万円の見積りなのに、貧弱な提案で5000万円の見積りを持ってくる恥知らずをやっていたにも関わらずである。
実際、多くの場合、負けた方のセールスマンが「我々の提案のどこがいけませんでしたか?」と尋ねてくる。
それも、会社に命じられて仕方なく聞いているというより、本気で質問していると感じられるのである。
そんな時は、ほとんどの場合、「アンタのその提案で本当に注文してもらえると思ってたの?」と思い、呆れてしまうのである。
あまりに甘いのである。
我々は、甘ったれた自分に怒ることを覚えなければならない。









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