ある社長が、重要な書類のことで部下に尋ねた。
「あれは正しく処理してくれたかね?」
有能で、社内で誰からも重く見られているその部下は、自信たっぷりに、
「はい、間違いないのないよう処理いたしました。どうかご安心下さい」
と答えた。
社長は、ほんの少し考えた後、
「では、ここにあの書類を持って来てくれ」
と言った。
すると、その部下は、明らかに顔をこわばらせたが、気持ちを抑え、落ち着いた素振りで、
「いえ、間違いはございませんので・・・」
と言うが、社長は、
「分かっている。だが、持って来てくれ」
と、命令を変えなかった。
部下は、やや挑戦的な口調で、
「私をお疑いでしょうか?」
と言うと、社長は静かに、
「疑ってなどおらんよ。だが、信じてもいない」
と、何の感情もない顔と声で言った。

ある恋人同士が会話していた。
男の方が、ややうろたえて、
「僕を信じてくれないのか?」
と言うと、女は落ち着いて、
「そうよ。でも疑っている訳ではなくてよ」
と答えた。

もし、信じることを強要する者がいたら、その者の立場がいかなるものであっても、避けた方が良い。
人間には、信じることなどできないのだ。
イエスは、「見て信じる者は幸せだが、見ずに信じる者はもっと幸せだ」と言った。
だが、イエスは別に、それがお前達に可能だとは言わなかった。
人間の心に、信じる力はない。
ただ、疑わないことができるだけだ。
そして、疑いを全て捨てると、心は消え、無になる。
そうなれば、たとえ、あなたを騙しに来た者ですら、あなたに一切、害をなすことができなくなる。
それどころか、あなたを殺しに来た者とすら、友達になれるのだ。

超人合気道家であった植芝盛平の弟子で、師匠をも超えたとも言われる塩田剛三は、
「一番強い技は何ですか?」
と聞かれ、
「自分を殺しに来た者と友達になることさ」
と答えたらしい。
だが、どうやれば、その力を持てるかは言わなかったかもしれない。
それは、さっき述べたように、疑いの一切を捨てることで可能になる。
ただ、信じようとしてはならない。
信じようとすればするほど、疑うことになる。
すると、あなたは簡単に殺されてしまう。

人間は、信じ切ることができれば、いかなることもできる。
ところが、人間には信じることができない。
だが、疑いを捨て、心が無になれば、信念の状態となる。
そうなれば、あなたは山をも、わけなく動かすことができる。
そのためには、訓練も必要だ。
あなたは、普段から、何も、そして、誰も、信じてはならない。
だが、疑ってもならない。
クリシュナムルティーは、「私は何も信じない」と言った。
だが、「疑いもしない」とは言わなかった。
それが、彼の苦難の原因だったと思うのだ。
「信じはしないが、疑いもしない」
「疑いはしないが、信じてもいない」
これで、あなたは一切を可能とする力を手に入れるのである。









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