何かを好きになったら、すぐにそれを引き寄せる力が働く。
人間はそれくらいの力を持っている。
しかし、同時に、それを引き離す力が働く。
すぐにだ。
両者の力は等しいので、引き寄せる力と引き離す力がつりあっていて、空中で停止しているようなものだ。
目標や夢を引き離す力は執着で、こだわりとも言う。
願望達成術の本によくあるように、建てたい家の写真を部屋の壁や天井に貼って、そのイメージを強くしようとしたとする。
それ自体は、良いも悪いもないのだが、これも、やはり本に書かれてあるように、あるいは、自己開発セミナーで教わるように、
「絶対に建てるぞ」
「クソ!必ずあの家に住んでやる」
とか力んでいると、引き離す力がどんどん強くなり、目標は遠くへ消えていく。
そんな願い方は、執着以外の何物でもないからだ。
以前も書いたが、美空ひばりさんの『柔(やわら)』のように、
「勝つと思うな、思えば負けよ」
である。
これも時々書くが、映画監督のマイケル・ムーアが言っていたらしいが、
「好きな女の子がいたら、諦めればその子は君のもの」
である。
だが、負けてはならないし、嫌ってもいけない。
問題は、そのさじ加減の難しさだ。
それを掴むために、武道や、何かの芸事の修行をするのは良いことだが、本当はそれほど難しいことではない。
例えば、ポルシェ911カレラS(約1,500万円)が欲しいとする。
「絶対に手に入れるぞ」と必死に求めれば執着になる。
当然、ポルシェ911カレラSは手に入らない。
ところが、「駄目なら駄目でいいや」と思うと、結果は2通りだ。
執着を解き放ち、本当に手に入れる場合と、ちゃらんぽらんになって、本当にさっぱり駄目になる場合だ。
後者の場合、それは本当の願いではなく、幼稚な願望だったという訳である。
それは、幼い女の子が「AKB48に入る」とか、好きなアイドルのお嫁さんになりたいと言うようなものである。
また、好きな女の子と言っても、よくあることだが、単に性的対象としか思っていないなら、諦めたらそれがはっきり分かり、それでも求めたら、自分が下種に思えてくるのだ。
オリンピックに出たいと思っても、運命であれば出たくなくても出るが、そうでないなら、どうやっても出られない。
運命を見極めるためには、いったん諦めることだ。
成功した人なんて、一度はすっぱりやめようと思ってから戻ってきた人ばかりだということを覚えておくことだ。
まずは、目標を紙に書く。
「私は、青のポルシェ911カレラSに乗っている」
というふうに、既に達成している言葉で書く。
それを、起床直後と就寝直前、そして、日中何度か、声に出して読んでみる。
本当の願いでないなら、日に日に熱意がなくなるのが分かる。
このアファメーション(確言。断言して言うこと)すら辛くなる。
それは本当の願いではない。
自分は、プリキュアになりたいと思っている幼い女の子と同レベルだったと分かるだけだ。
願いってのは、ある程度の切実さは必要なのだ。
借金で苦しんでいるなら、それを何とかしなければならないという強い思いがあるだろう。
ただ、その場合も、「借金を返した」では情熱が湧かないので、今の倍の年収を設定し、
「私の年収は(現在の倍の年収)だ」
とするのが良いだろう。
何事もそうで、ポルシェも家も、お金があれば買えるのだから、お金を作ってから、後でゆっくり考えれば良い。
いざお金が手に入ったら、落ち着いて考え、ちゃんと自分に合ったものを買うものである。
人間にとって、お金は切実な問題である。
それで、現在の2~4倍の年収を設定し、目標にするのが最も叶え易い。
ただ、あまりに切実にならず、ある程度ソフトな感覚が必要なのだ。
そのために、肛門を締める訓練をするのである。
なぜなら、肛門を締めたまま、ものにこだわることができないからだ。
これはちょっと不思議なものである。
それで、いつも、思い出すたびに肛門を締めると良いのである。
それと、時には旅でもすると良い。
食べたり、買ったりが目的の旅でなく、見知らぬ環境に身を置き、自分にとって珍しいものを見るための旅である。
それが執着を解き放つきっかけになるからである。
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人間はそれくらいの力を持っている。
しかし、同時に、それを引き離す力が働く。
すぐにだ。
両者の力は等しいので、引き寄せる力と引き離す力がつりあっていて、空中で停止しているようなものだ。
目標や夢を引き離す力は執着で、こだわりとも言う。
願望達成術の本によくあるように、建てたい家の写真を部屋の壁や天井に貼って、そのイメージを強くしようとしたとする。
それ自体は、良いも悪いもないのだが、これも、やはり本に書かれてあるように、あるいは、自己開発セミナーで教わるように、
「絶対に建てるぞ」
「クソ!必ずあの家に住んでやる」
とか力んでいると、引き離す力がどんどん強くなり、目標は遠くへ消えていく。
そんな願い方は、執着以外の何物でもないからだ。
以前も書いたが、美空ひばりさんの『柔(やわら)』のように、
「勝つと思うな、思えば負けよ」
である。
これも時々書くが、映画監督のマイケル・ムーアが言っていたらしいが、
「好きな女の子がいたら、諦めればその子は君のもの」
である。
だが、負けてはならないし、嫌ってもいけない。
問題は、そのさじ加減の難しさだ。
それを掴むために、武道や、何かの芸事の修行をするのは良いことだが、本当はそれほど難しいことではない。
例えば、ポルシェ911カレラS(約1,500万円)が欲しいとする。
「絶対に手に入れるぞ」と必死に求めれば執着になる。
当然、ポルシェ911カレラSは手に入らない。
ところが、「駄目なら駄目でいいや」と思うと、結果は2通りだ。
執着を解き放ち、本当に手に入れる場合と、ちゃらんぽらんになって、本当にさっぱり駄目になる場合だ。
後者の場合、それは本当の願いではなく、幼稚な願望だったという訳である。
それは、幼い女の子が「AKB48に入る」とか、好きなアイドルのお嫁さんになりたいと言うようなものである。
また、好きな女の子と言っても、よくあることだが、単に性的対象としか思っていないなら、諦めたらそれがはっきり分かり、それでも求めたら、自分が下種に思えてくるのだ。
オリンピックに出たいと思っても、運命であれば出たくなくても出るが、そうでないなら、どうやっても出られない。
運命を見極めるためには、いったん諦めることだ。
成功した人なんて、一度はすっぱりやめようと思ってから戻ってきた人ばかりだということを覚えておくことだ。
まずは、目標を紙に書く。
「私は、青のポルシェ911カレラSに乗っている」
というふうに、既に達成している言葉で書く。
それを、起床直後と就寝直前、そして、日中何度か、声に出して読んでみる。
本当の願いでないなら、日に日に熱意がなくなるのが分かる。
このアファメーション(確言。断言して言うこと)すら辛くなる。
それは本当の願いではない。
自分は、プリキュアになりたいと思っている幼い女の子と同レベルだったと分かるだけだ。
願いってのは、ある程度の切実さは必要なのだ。
借金で苦しんでいるなら、それを何とかしなければならないという強い思いがあるだろう。
ただ、その場合も、「借金を返した」では情熱が湧かないので、今の倍の年収を設定し、
「私の年収は(現在の倍の年収)だ」
とするのが良いだろう。
何事もそうで、ポルシェも家も、お金があれば買えるのだから、お金を作ってから、後でゆっくり考えれば良い。
いざお金が手に入ったら、落ち着いて考え、ちゃんと自分に合ったものを買うものである。
人間にとって、お金は切実な問題である。
それで、現在の2~4倍の年収を設定し、目標にするのが最も叶え易い。
ただ、あまりに切実にならず、ある程度ソフトな感覚が必要なのだ。
そのために、肛門を締める訓練をするのである。
なぜなら、肛門を締めたまま、ものにこだわることができないからだ。
これはちょっと不思議なものである。
それで、いつも、思い出すたびに肛門を締めると良いのである。
それと、時には旅でもすると良い。
食べたり、買ったりが目的の旅でなく、見知らぬ環境に身を置き、自分にとって珍しいものを見るための旅である。
それが執着を解き放つきっかけになるからである。
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