好きな年齢で老化を止められるとしたら、あるいは、若返るとしたら、何歳になりたいだろうか?

数世紀に渡って現存したといわれるインドの超人ヨギであるババジは、見方にもよるが、パラマハンサ・ヨガナンダの自伝によれば、25歳の際立った美しい青年であったようだ。
ただ、ババジが人間として過ごした時代のインドでは平均年齢が30歳にもならなかったことも考慮しないといけない。だから、現代のババジは35歳くらいに見えたという話もある。
フランスのサンジェルマン伯爵も数十年かそれ以上に渡って老化しなかったというが、彼は、若さと貫禄が両立する45歳位の容姿を選んだとも言われる。ただ、『ヒマラヤ聖者の生活探求』によれば、彼は死んではおらず、いまだ生きているのではないかとも思われる。もしそうなら300歳以上となる。
アダムスキーの著書によれば、進化した宇宙人の容姿は、それぞれではあるのだが、多いところでは、男性は30歳少々、女性は20歳少し前といった若さで、地球でいう数百年を送るのであるらしい。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』では、数百年に渡って生存する人々の容姿は、それよりはやや幅広いものであるらしい。
アメリカの調査隊と親しく接していた大師(だいし。超人とか師とかいった意味)達は、50歳くらいの外見であったが、その母親は幼さの残る絶世の美少女であり、概ね、女性に関しては10代後半の容姿の者が多いように思える。また、男性でも、20歳くらいの青年の姿をした大師もいる。
イエス、釈迦も、気高くはあっても、力強く美しい青年の姿で登場する。
中国の仙人伝説においても、仙人は、男性では、老人はあまりいないが、40代くらいの容姿の場合が多く、女性の場合は15歳から20歳くらいの姿でいるようである。

ロマンある話ではあるが、もし、これらが空想であるとしたら、人類的に、男性の場合は、若さを残しながらも貫禄があり、思慮深い年齢を理想とし、女性の場合は品格を重んじながらも、若さが尊ばれる傾向があるのだと思う。
実存した長南年恵(ながおさとしえ)という明治時代の女性は、生涯(43歳没)18歳から20歳くらいの容姿を保ち、性質も少女のようであったといわれている。

事業家で文筆家、講演家の斎藤一人さんは、自分は200歳まで生きると言う。「私が子供の頃は80歳まで生きると言ったら笑われた。しかし、今はそれが普通になっている。それなら私は200歳まで生きる」といったことを著書に書かれている。しかし、ヨボヨボの老人になって200歳まで生きても楽しくはないだろう。やはり、せめて50代の若さを保ってでありたいと思う。

男も、若いうち、あるいは、精神が未熟な間は、10代の若さを保ちたいと思うのだと思うが、いわゆる社会で苦労すると、ある程度の貫禄や、深い人間性と思慮を備えた年齢であることを重んじるようになり、大人向けの映画の男性の登場人物では20代よりは30代後半以上のヒーローの方が格好の良いものだ。
一方、女性の場合は、映画などでも、キャリアを積んだ格好の良い女性も数多いが、例えば、『ネバーエンディング・ストーリー』の幼心の君のように、いつまでも少女の姿でいるヒロインは少なくない。
初音ミクも2007年の登場からずっと16歳である。(ただ、実際は12~15歳くらいの雰囲気で描かれることも多いのだが。)

それぞれが、自分の理想とする年齢はあるだろうが、自分の容姿を自在に決める能力を持つ者はほとんどいない。
ヨーガや仙術では、若さは、肛門を締まる強さだと言われることが多く、年齢と共に、肛門を締める力が弱くなる。
しかし、それは鍛えられるのであり、常に肛門を締めることを心がけたり、特別に肛門を締める訓練をすることで、生命力を高め、若さを保つことができるし、若返ることも可能かもしれない。
また、関英男博士によれば、人間は生まれた時に持っているある特殊なエネルギー(粒子でもある)は、年を取るごとに少なくなっていくが、呼吸数の減少と腕振り運動で増やすことが可能と言うので、深く静かな呼吸をし、腕振り運動を熱心にやることで若くなるようである。
関博士も、90歳を過ぎても元気で世界中を飛び回り、毎日、海外から論文を取り寄せて熱心に研究し、彼を懐疑的な目で見る者から見ても、頭は全くボケておらず聡明であったらしい。

ただ、肉体や思考能力は若者に優っても、容姿には苦労が刻まれるものである。
人を老化させる苦しみとは、憎んだり、妬んだり、悲しんだりすることで、釈迦によれば、これらは全て、執着、こだわりから起こる。
よって、肛門を締めると共に、執着を離れることで若くなる。
そこで、是非とも注意したいことは、肯定的な意味でのこだわりなんてものはなく、それは、熱心にやるということのいい間違いである。
こだわることと熱心にやることの違いは、こだわりでは、結果を自分の力でなんとかしようとするが、熱心にやるというのは、結果は神にまかせるということである。両者は天地ほどの違いがある。
こだわる者は老化するが、熱心なものはいつまでも若いのである。









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