男でも女でも、特に若いうちは格好良くないといけない。
ルイス・キャロルなんて、沢山の少女のガールフレンドを失わないために、60歳を過ぎても若々しく、格好良かったそうだ。
「俺はハンサムじゃないから」「美人じゃないから」などと考えるべきじゃあない。
ジョン・ウェインはただのオッサンだし、スティーブ・マックイーンは自分で猿顔だと言っていたのだ。
しかし、ジョン・ウェインほど魅力的な男はいないし、マックイーンほど格好良い男はいない。

もちろん、正しい自己暗示によって、誰でも格好よくいられる。
そのためには、小説でも映画でも良いが、本当に格好良い理想のタイプを見つけるという手がある。
例えば、E.E.スミスの『レンズマン』シリーズのヒーローであるキニスンは、新米レンズマンとして、命懸けの冒険の後、特別なレンズマンであるグレー・レンズマンに昇格した時、グレー・レンズマンだけが着用を許されるグレーの制服を着た自分を鏡に映した時、思わず、
「なんて格好良いんだ!」
と思う。
そのシーンは鮮烈であったと思う。
自分のことではあるが、キニスンは、そう思うに相応しいことが分かるからだ。
そして、前にも延べたが、英雄の物語を読む時は、自分のことが書かれていると見なさなければならない。
あなたは、このシーンを思い出し、
「なんて格好良いんだ!」
と思うその人は自分なのだと知らなければならない。

『灼眼のシャナ』では、生徒達に恐れられる体育教師の、傲慢で納得のいかない指導方法に対し、坂井悠二は堂々、異議を唱えた。
その後、悠二に助けられた形になった、美少女、吉田一美は、内気な性格であるに関わらず、悠二に、「格好良かったです!」とはっきり言う。
そうだ、悠二は本当に格好良かった。
そして、一美に慕われる悠二を羨ましく思ったあなたは、やはり悠二になるのである。
「格好良かったです!」
一美の賛辞はあなたに向けられている。

「なんて格好良いんだ!」
「格好良かったです!」
このイメージを強く保ったまま、自己暗示を行うのだ。
「僕は格好良い」
「私は美しい」
と、自分に言い聞かせるのだ。
心が反発したって、知ったことではない。
反発してくれるということは、それを乗り越え、暗示の言葉を現実にして、あなたは向上するということなのだ。
心が反発しないことなんて、本当につまらないことだ。
毎日、起床時と就寝時に、10回ずつでも、声に出して、ゆっくり、堂々と自分に言えば、心は自然に屈服する。
だが、間違えてはならない。
「僕は格好良くなる」
「私は美しくなりつつある」
では、全く効果はない。
なぜなら、それでは、今はみっともない、ブスだと潜在意識に言い聞かせているのだから、万能の潜在意識はそのまま実現するのだ。
「僕は格好良い」
「私は美しい」
と現在形で言わなければならない。

下らないと思うか、やってみようと思うかが運命の分かれ道だ。
格好良いとか、美しいを卒業したと思っているなら別のことでも良いが、人間、なかなかそうはいかないのではと思う。
年のことを考えるなら、90歳以下なら、何もためらうことはない。
そして、それ以上でも、何ら差し支えはない。
自分が望む限りはね。









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