夏の終りは、特に若い人に、自殺したくなる人が多い。
中には、「死にたいと思うのも、やむを得ない」と思わせるようなケースもあったりするのだろう。
だが、甘ったれちゃいけない。

時代劇小説『木枯し紋次郎』の中で、死にたがっている人に、紋次郎が珍しく感情を見せたことがあった。
その男は、親兄弟に先立たれ、天涯孤独。
天地の間に、身を寄せる場所はどこにもない。
人生に、目標とか張り合いというものが何もなく、生きる気力が全く無いのであった。
その上、労咳(肺結核。当時は不治の難病)を病み、身体が思うようにならない。
その男は、紋次郎すら比較にならないほどの剣の達人だったが、紋次郎を尊敬し、最後は紋次郎の手にかかって死にたいと願っていた。
そして、奇跡のような偶然で出会った紋次郎に、その望みを叶えてくれるよう懇願した。
だが、紋次郎は言う。
「甘ったれちゃあいけやせん。死ぬときがくれば、生きていたくともそうはいかねえ。それまでは生き続けるのが渡世人ってもんじゃねえんですかい」

また、紋次郎には、こんなことがあった。
紋次郎が、ある大親分の幼い息子に危害を加えたとして、激怒したその大親分は30人もの子分に紋次郎を包囲させ、「叩っ斬ってやる」と迫る。
いくら紋次郎でも、30人も相手に戦って勝てるはずがない。
それなら、無駄な争いはやめようと、紋次郎は地面に正座し、「存分になさっておくんなさい」と言う。
それではと、大親分が長脇差(ながドス)を紋次郎に突きつけるが、紋次郎は平然として動じない。
あまりの紋次郎の平静さに、大親分の方が動揺すると共に、さずが大親分だけあり、何かおかしいと感じ取る。
実は、紋次郎は、大親分の息子の命を救うために、やむなく、乱暴なことをしたのだった。
誤解で死ぬとしても、紋次郎には、そんなことはどうでも良いのだった。
だから、弁解もせず、悔しいと思うことも全くない。

また、紋次郎の目に前で、こんなことがあった。
17歳ほどの美しい娘が、供の男と旅をしていたが、その供の男が、うかつにも武士とぶつかりそうになった際に、柔らかいものだったが、その武士の顔に当ててしまう。
怒った武士は、娘の供の男が土下座して必死に謝るのを聞き入れず、叩きのめして重症を負わせた上、「無礼打ちにしてやる」と太刀を抜く。
すると、その娘は、武士の前の地面に正座し、
「その男は私の奉公人。奉公人の粗相は私の責任。切るなら私を」
と言い、首を差し出す。
武士は、「生意気な!では望み通りにしてやる」と、娘の首を落とさんと太刀を振り上げるが、娘のあまりの平静さに、動けなくなってしまう。
武士の額に汗が流れ、身体が震え、ついには、太刀を収め、逃げるように去って行った。

あなたも、紋次郎や、この娘のようになりたいはずである。
何のことはない。
紋次郎も、娘も、肛門が締まっているのだ。
一方、紋次郎を切ろうとした大親分は、普段は確かに大人物なのだが、息子可愛さのために激怒したことで、肛門が緩んでしまった。
娘を切ろうとした武士にいたっては、未熟のため、最初から肛門が開いてしまっている。
激怒したり、怯えた時に、屁をたれたり、失禁するのはそのためである。
また、オナラは老化の証と思って間違いない。

肛門を締めれば、紋次郎や、この娘のようになれることは、本物の偉人たちが述べていると思う。
あらゆることは、肛門を締めるためにやるのだと思っても良い。
逆に言えば、肛門が緩むことをやってはならない。
大食とか、美食とか、過度の飲酒とか、色事にうつつを抜かすとか、その他、あらゆる個人的欲望や見栄などのために何かやると、たちまち肛門は緩む。
腕振り運動をやる時は、足の親指に力を入れ、肛門を締め、臍の周りを意識しながらやるのである。
そうすれば、腕振り運動をやればやるほど肛門が締まり、力がつき、創造主のエネルギーが流れ込み、やがては天下無敵となる。
また、こういうふうにやる腕振り運動は楽しく、心身が喜ぶだけでなく、魂が喜び、神霊も喜ぶ。
それで運命が悪くなるはずがない。









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