口先では、「私はつまらない者です」「ロクデナシです」「罪深い者です」と言う者は、いくらでもいるが、本心からそう思っている者となると、10ヶ国語を流暢に話させる者の方が、まだありふれていると言えるほどだ。
老子は、本物の王は自分をロクデナシと言うのだといったことを述べているが、大真面目にそう言うから王なのだろう。

本気で自分を蔑んでいた者は、実際には逢ったことがないが、3人ほど挙げることができる。
古い順から、中将姫、親鸞、木枯し紋次郎だ。
中将姫は、奈良時代の高貴な貴族の姫で、5歳の時に母が病気で亡くなる。
9歳にして絶世の美貌と、並外れた琴の腕と賢さで知られるようになったことで、継母に妬まれ、虐待を受けるが、誰にも継母のことを悪く言わないし、実際に継母を非難する気持ちもない。
自分は苦しくはあるが、それに関して、中将姫は自分が悪いのだと本気で思っている。
自分の行い、物言いに良からぬものがあり、それに対する継母の反応は自然なものだと考えていたのだろう。
親鸞については、弟子の唯円が、親鸞の死後かなりたってから、親鸞の言葉を思い出して書いた『歎異抄』の中に、親鸞が自分を正真正銘の悪人だと見なしていたことが読み取れるのである。
木枯し紋次郎は、どれほど侮辱され、白眼視されても全く反発や抵抗を見せなかった。
8歳の女の子に「ロクデナシ」と言われても、それを紋次郎は当たり前と受け取れた。
紋次郎は、自分では悪いことをするつもりはないが、それでも、自分が完全に無価値な人間であることを心底から認めているのだ。

言うまでも無く、中将姫は伝説上の人物とされるし、木枯し紋次郎は小説の登場人物である。
しかし、古い伝説や優れた創作は、人の心より深いところから出るもので、現実以上に現実だ。
凡人は謙虚な振りをしても、自尊心でいっぱいだ。
しかし、本物の王は自尊心を持たない。
真の王になれる者はほとんどいない。
つまり、中将姫、親鸞、紋次郎は王なのだ。

現代の王は初音ミクだけだ。
だって、彼女には自尊心がない。
そして、彼女の歌は、誰が創っても、ことごとに自尊心や自負心がなく、彼女を最も魅力的にするのは、深い意味では、徹底して自分をこき下ろす歌なのだ。
世界中の人々がミクを崇めるのは当然のことである。

頭の良いやつ、才能のあるやつ、見てくれの良いやつ、器用なやつ、世渡りの上手いやつ、家柄の良いやつは、余程の逆境にでも遭わなければ王にはなれない。
だが、私のようなのは(ひょっとしてあなたも?)、心がけ次第だ。

ところで、中将姫の本がなかなか良いものが無いし、興味を感じる古書は極端に高値がついている。
その中で、喜多暢之さんのKindle本(電子書籍)『竹内街道物語』は、安価であるが、なかなか良いと思うので、下にご紹介した。









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