十数年前だろうか。
野村克也さんの奥さんが、脱税か何かで逮捕された時の彼女の言い訳をよく覚えている。
だいたいのところで、
「今は幸い、お金が沢山入ってくるが、これがいつまでも続く保証がある訳でもなく、将来が不安だった」
というものだったと思う。
豪邸に住み、旦那の稼ぎっぷりは素晴らしく、彼女は当時で60代だったと思うが、おそらく、死ぬまで遊んで暮らせるくらいの財産もあったと思う。
ちなみに、旦那は今でも稼ぎまくっているように思う。
だが、彼女の言い分も、もっともだと思うのだ。

宗教では、「与えられるものだけで満足しなさい」と教える。
しかし、それが納得できない理由が、まさに、野村夫人の言い分と同じようなものなのだと思う。
「そりゃ、今は収入があって、健康だからいいですよ。でも、今の時代、いつ、リストラされるか分からないし、いい年になって失業して悲惨な目に遭っている人がいくらでもいる。それに、病気になって大金が必要になったりとか、何があるか分からないじゃないですか?金はいくらあっても多過ぎることはないですよ!」
月給が100万円以上の人だって、ほとんどがそう思っていることだろう。
いくら金があろうと、不安な人は不安だ。
いや、むしろ、収入が多いほど不安も大きいのかもしれない。

一方、「宵越しの銭は持たない」という人も少ないがいる。
単に遊び好きや無責任でそう思っているのではなく、腹が据わっていて、真に精神が逞しい人だ。
(私は、キックボクシングの沢村忠さんがそんな人の代表と思っている)

Tommorow is another day.
明日は明日の風が吹く。

こう思っているのは、ものごとに囚われない、飄々としている人だと思う。
そんな人は、明日のことなど考えていないのだろう。
木枯し紋次郎がそうだった。
明日のことなんて分かるはずがない。
なるようにしかならないのだ。
そう達観した紋次郎には、いかに明日の知れない無宿渡世であっても、不安というものを感じたりはしない。
まあ、彼も人間なので、疲れを感じることはあるのだが。

阿久悠さん作詞の名曲『憎みきれないろくでなし』(歌は沢田研二さん)に、「明日は明日で楽しいだろうが、あまりに遠くて予想も出来ないよ」という歌詞があったが、誰もがこんなろくでなしに憧れるが、なかなかそうはなれないのだ。
いや、今の人々は、そんなろくでなしに憧れることすらなくなってしまっているのかもしれない。
本心はびくびくしながら、ろくでなしを蔑み疎んでいるのだ。
私はろくでなしに憧れているし、世間の人達に蔑み疎まれたいのである。

ZARDの『Today is another day』という歌がある。
坂井泉水さんが、「Tommorow is another day」をひねって、こんなタイトルにしたのだと、どこかで見た覚えがある。
歌の中で、「明日がある」、「今日が変わる」と、紋次郎のような虚無的でなく、積極的、前向きなのであるが、結局、同じことなのだと思う。
不安を消し、逞しく生きるコツは1つだ。
それは、「昨日を忘れる」ことだ。
もっと端的には、過去を忘れることだが、まあ、今日のことくらいは思い出してみるのも悪くはない。
だが、一晩寝れば忘れることだ。
紋次郎は、やはり、昨日のことなんか覚えていない。
そして、既に述べたように、明日のことも知ったことではないと思っている。
だから、今、凄まじい生命力とパワーを発揮するのである。

昨日を忘れれば、明日の不安もないし、実際、うまくいってしまうのだ。
昨日のことなんか、うじうじと気にしているから、明日が不安で、実際にロクでもないことになる。
過去も未来も、モノクロームで生命を持たない。
今だけが、カラーで生命に溢れている。
その今に生きれば、生命と一体化する。
紋次郎も、生きている限りは生きようとしたのだ。









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