何のテレビCMだったかは意識しなかったので知らないのだが、サッカーの日本代表監督のザッケローニや、選手が出ていたものだった。
そのCMの中で、サッカー選手というものは、凄い努力をしてそのピッチ(フィールド)に立っているのだから、我々は敬意を払わなければならないといったことが言われていたと思う。
無論、サッカー選手に対しても敬意を払うというのは賛成であるが、それは、サッカー選手だからではなく、人間としてである。
それはつまり、サッカー選手であろうが、ロック歌手であろうが、工芸家であろうが、清掃作業員であろうが、全く平等に敬意を払うべきであるということだ。
むしろ、サッカー選手という部分に関して言うなら、自分のため・・・はっきり言えば、自分の我欲のために努力したのであり、その努力が大きければ大きいほど欲望が強いのであるから、とてもではないが、敬意の対象にはならないのである。
世間では、努力して一流の実力を身につけ、成功した者を英雄扱いする風潮があるが、それらも全て、自分のための努力であるのだから、偉くもなんともない。
むしろ、自分の富や名誉のために、そこまで努力できる人というのは、考えてみれば、かなり怖いものである。
ただ、努力して実力をつけた後の行いが崇高であれば、それは、自我を抑えて高い理想に従ったということなのだから、それならば尊敬にも値する。
しかし、金メダル自体は、ちっとも立派ではないのである。

一流の人とは比較にもならないが、私が習得したプログラミング技術やその他の知識、技術に対し、「よく努力しましたね」と誉めてくれる人がいるのだが、これも、私は単に自分のために努力しただけであり、人様に誉めてもらえるようなものでは全くない。
むしろ、過剰に努力することで、迷惑をかけた人や、嫌な思いをさせた人も少なからずいるのだから、貶されても仕方がないとすら思うのである。

ところで、コンピュータープログラミングに関しては、こんな話をしておきたい。
1964年3月1日、午前4時にBASIC言語が誕生した。
ダートマス大学の2人の数学教授、ジョン.G.ケメニーとトーマス.E.カーツは、当時の、ごく一部の人しか利用すことができず、また、非常に使いにくかったコンピューターを誰にでも使えるようにするため、一台のコンピューターを大勢で使うための仕組みであるタイム・シェアリング・システムと共に、このBASIC言語を開発した。
これは、あくまで研究者としての仕事であることも確かであるが、ほとんど善意で行ったことであり、しかも、BASICに関する権利を手放し、世界中の誰でも利用できるようにしたので、BASIC言語は世界中に広まり、私を含む、膨大な数の人々に恩恵を与えた。
ケメニーもカーツも、過ぎた努力はしたが、それに対する報酬は考えていなかった。
このような努力に対し、敬意を払うべきなのである。
その後、ビル・ゲイツは、このBASICをマイクロコンピューターに搭載することで富を得たが、それは自分のための努力であり、素晴らしい成果であることはもちろん認めるが、やはり、偉くも何ともないのである。
ただ、ゲイツは得た富を使って、自分のためではなく、世界のために働くようになったのかもしれない。
そうであるなら、我々は彼に敬意を払わなければならない。









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