迷いに迷った末に自分で決めたことというのは、大抵、後悔する。
迷うくらいなら、コインを投げれば良い。

子供の時は、理由もなく、不意に歓喜が湧いてくることがよくある。
今から、漫画を読もうか、それとも、ミサキちゃんの家に遊びに行こうか、いや、公園に行って、誰かが犬を連れてくるのを待とうか・・・などと考えると、理由もなく嬉しくて仕方がなくなる。
自分には、ここに挙げたような可能性が全て存在する。
そのどれかを選んでしまえば、選ばれなかった可能性は全て消える。
しかし、選ばない限り、可能性は全部残り、世界は広く、自分は制限されていない。
これが自由の感覚であり、私は無限なのである。

朝、8時になったら家を出て学校に行かないといけない。
しかし、8時になっても、そこにじっとしていると、やはり、あの至福の感覚がやってくる。
家を出て、ちゃんと学校に行くか、それとも、学校に行くのはやめてズル休みをするか、いっそ、どこかに行ってしまおうか?
結局は、少し遅れたとしても学校に行くのだが、迷うというのではなく、決めずにいる間は、ずっと幸福が続いている。
そして、学校に向かっている間も、引き返そうか、どこか違うところに行こうかと思うと、その新しい可能性が、世界をまるごと創り出すのである。

だが、世間というのは、我々に右か左かを、「とっとと」決めることを要求する。
どうしても決めなければならないなら、決めれば良いが、それはどうでもいいことだと思うことだ。
実際、自分で決めなければならないことなんて、本当にどうでも良いことばかりで、コインを投げるようなつもりで決めることだ。
赤い服を着るか、白い服を着るか?
数学を専攻するか、電子工学か?
トヨタかホンダか?
決めても良いが、自分には関係ないことだと思うことだ。
そうすれば、あなたは可能性を失わず、世界は美しく、あなたは自由だ。









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