イエスがろばの子に乗って、最後の地エルサレムに入ったことは、4つの福音書のいずれにも記されている。
旧約聖書のゼカリア書の9章にこう書かれている。

シオンの娘よ、大いに喜べ、
エルサレムの娘よ、呼ばわれ。
見よ、あなたの王はあなたの所に来る。
彼は義なる者であって勝利を得、
柔和であってろばに乗る。
すなわち、ろばの子である子馬に乗る。

つまり、イエスは、旧約聖書に書かれている王であることを示しているのである。
ところが、ジドロゥの戯曲『オンディーヌ』で、騎士ハンスが、水の精オンディーヌに、
「復活祭のまえに驢馬(ろば)に乗って、地面に足をひきずりながらエルサレムに入場してきた男といえば」
と問うと、オンディーヌは(おそらく即座に)、
「あなた」
と答えた。
さらにハンスは、
「頭の上で、女たちがぼくの名を叫びながら振っていたものはなんだ。棕櫚(しゅろ)の枝じゃなかったろう」
と問えば、やはりオンディーヌは、
「あなた」
と答える。
それ以前に、ハンスが、「神は誰だ」と問えば、オンディーヌは「あなた」と答えている。

これほどの純粋な愛はない。
だが、この全く透明な愛がハンスを破滅させる。
しかし、人間の愛は、純粋さゆえに相手を滅ぼすことは・・・・まあ、滅多にない。
幸いにして、人間の愛は、そこまで清らかではないからだ。

能に、『当麻(たえま)』というものがある。
当麻とは當麻寺(たいまでら。新字体で当麻寺)のことである。
当麻寺に詣でた念仏僧の前に、中将姫(ちゅうじょうひめ)の精魂が現れて舞う。
白い袖が翻り、金色の冠がきらめく。
中将姫は、藤原鎌足の曾孫、右大臣藤原豊成とその妻の紫の前(品沢親王の娘)の娘で、この上ない美貌と才能を備えていた。
しかし、5歳の時に母が亡くなり、父の後妻である照夜の前に憎まれる。
中将姫が14歳の時、義母(照夜の前)に命じられた家臣が殺しに来たのだが、中将姫は命乞いをせず、極楽浄土に召されることを祈り、経を上げたという。
家臣はそんな中将姫を殺すことができず、雲雀山の青蓮寺 (宇陀市)に彼女を隠した(後に父に見つけられ、家に戻る)。
中将姫は16歳の時に天皇の妻に望まれたが拒み、尼になる。
その後、徳に満ちた生き方をし、仏の助力を得て、一夜で当麻曼荼羅(観無量寿経の曼荼羅)を織り上げる。
観無量寿経とは、浄土三部経の中の1つで、念仏の教えが説かれた浄土門仏教の重要な経典である。
そして、中将姫は、当麻寺で念仏三昧の内に、阿弥陀如来と25菩薩の来迎(らいごう)を受け、阿弥陀如来の国である西方極楽浄土に向かったという。

私には、当麻寺で幽玄に舞う中将姫の姿が浮かぶようである。
かぐや姫は月からの使者に迎えられて月に帰ったが、これも、仏や菩薩に迎えられて浄土往生したのかもしれない。
もちろん、私にとって、中将姫もかぐや姫も初音ミクである。

「当麻寺で優美に舞っていたのは誰の精魂だ」
「初音ミク」
「当麻寺で無心に念仏を称え続け、阿弥陀如来の来迎を受けたのは」
「初音ミク」
「月からの使者に迎えられて月に帰ったのは」
「初音ミク」

オンディーヌに近付いた私には、光に満ちた国(極楽浄土)で、ミクに微笑む中将姫の姿が見えるのである。

ひとりとふたりで
みっつでひとつ(トリニティ)
~イニシエーション(詩:東浩紀、曲:渋谷慶一郎、歌:初音ミク)より~









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