どれほど優れた、堂々とした、気高く、強い人間であろうと、あなたや私のものと何も変わらない同じ心を持っている。
しかし、そんな人の心は輝いているのに、自分の心は粗末で卑しいもののように感じている。
だが、真実、そんなことは決してない。
その人の心が千億円の宝石だというなら、私やあなたの心も同じく千億円の宝石だ。

仮に、地球人よりはるかに進歩した宇宙人が地球に来ていて、その心は、愛に溢れ、一切の憎しみや利己主義から離れていたとしても、彼らの心と我々の心は、やはり全く同じものなのだ。
彼らは自分達の心が、我々のものより優れているとは全く思っていない。
彼らが我々に対して優越感を持っていないのと同様に、我々は、彼らに対して劣等感を持つ必要はない。

そして、神仏の心も人間の心も何も違わないのだ。
念仏を称えたり、「アミターバ」(阿弥陀如来の原語)とその名を呼べば、我々の心から、霊的な火花が発せられる。
シラーはそれを、神の霊、あるいは、楽園の乙女と表現し、それをベートーヴェンが『歓喜の歌』にした。
実際に、それは歓喜でしかない。
我々の心が、そのまま仏の心である。
嘘ではないので、信じてもらえればと思う。
アミターバ・・・無限の光を持つ者という意味だが、その仏は、はるか彼方にいるのではなく、我々の心の内にいる。
その名を呼べば、此処が極楽浄土になる。
我々が気付こうが気付くまいが、事実はその通りである。
あなたは、このことを聞いて、どうすれば良いのだろうと思っているかもしれない。
どうもしなくて良い。
ただ、自分の心が仏の心と全く同じで、この心がそのまま仏であることを、ただ憶えていて欲しい。
忘れさえしなければ、そう遠くなく、そのことがはっきり分かるようになるだろう。









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