フランスの画家ゴッホと宮沢賢治は、分野は違えど、共に偉大な芸術家であったが、不思議なほど共通することが多い。
共に、生涯に渡ってほとんど働かなかったが、生活できたし、創作活動は生涯途切れることなく続いた。
ゴッホは弟のテオが経済面一切を負ってくれたし、賢治の生家は豊かな古着屋だった。
共に結婚していないし、彼女がいたという話もない。
共に、生前は作品は全く売れなかった。共に、今日での数万円位で1作ずつ売れているだけである。また、ゴッホのは予約であり、金は受け取っていない。
共に病弱であった。ゴッホの心身の病は、貧困や作品が評価されない精神的苦悩からだと思うが、賢治は若い時から病弱だった。
共に37歳で死んだ。ゴッホは自殺で、賢治は病死だった。

2人とも、身体も心も苦しく、病んでいたと言って良いと思う。
芸術家としては、世界に素晴らしいものを残したが、彼ら自身は幸福ではなかった。
私は、2人の問題は、「精神をしゃんとさせる」ものがなかったことと思う。
それは、生活のために働かなかったことが原因だと思えるのだ。
大人が働きもせずに食べていると陰鬱になってくるのが当たり前である。
世間の仕事は良い面ばかりでなく、現代のサラリーマンの仕事も面白くないところが多い。
それでも、働くことには非常に重要な面がある。
それは、生活費を得ることと同時に、人間関係ができることである。
その人間関係に苦難を感じる者も多いのであるが、人間は、他人との人間関係を持たなければ、必ずや精神的に破綻する。
心身は一体であり、肉体の病気も多くの場合、精神が原因なのであり、精神が病むと肉体も駄目になる。
宮沢賢治は、大学を優秀な成績で卒業し、早くに助教授に推挙されたが断っている。
高校教師もしていたが5年ほどで辞めている。また、少しの間、技師やセールスマンもやっているが、病気で続かなかった。
文芸活動や学術活動には熱心で、また、楽器や外国語を習ったりもしたが、仕事には関心がなく、生涯、あまり働かなかったと言って良いと思う。
ゴッホと違って恵まれており、良い仕事の口は沢山あったが、病気のためもあるだろうが、金ならあったということもあり、働くことに興味がなかったのだろう。

ゴッホは様々なトラブルを抱え、恩人のテオとも対立した。
賢治は、豊かな生活を与えてくれているのに、実家の古着屋という家業を嫌い、さらに、実家の宗教である浄土真宗を嫌った。
いろいろ理由はあるだろうが、子供の時ならともかく、大した理由もないものを、嫌悪する、否定する、悪く考えるというのは、精神の幼さ、弱さが原因である。

「何のために働くか」などと言われることがあるが、もちろん、生活のためであろうが、たとえ生活のために働く必要がない境遇であっても、働くことは大切だ。
その理由は、他人と単なる友好的な意味ではなく、利害を伴った人間関係を持つことにより、精神を律することができるからだ。
簡単に言えば、精神を鍛えることができ、これが十分でないと、人間は強くなれない。
宮沢賢治は間違いなく天才であり、また、稀に見る高貴な魂の持ち主であったことは疑いないが、彼の写真を見ると、その雰囲気は弱々しく、また、風貌に、甘えた「ぼうや」といったものが感じられるのではないかと思う。
過ぎた利益や名誉のために過酷な労働や、人間性を否定するような仕事はすべきでない。
しかし、多少意に沿わなくても、まっとうな仕事をすることで、精神を健全に保つ必要はあると思う。
江戸の太平の世、武士達は仕事も無いのに支配者として生活が保護されていた。これは、働かずして食っていたということである。
結果、武士は腐敗し、日本の暗部、恥部になっていった。素晴らしい江戸文化を創ったのは町人である。
「サムライジャパン」なんて、本当は、物凄く恥ずかしい言葉だと思う。

何のために働くのかというと、金や名誉や自己満足のためではなく、精神を鍛え、安定させるためである。
言い換えれば、心の腐敗を避け、狂気を免れるためである。
その結果、必要な金が得られれば、それで満足しなければならない。
逆に言えば、仕事とは、その程度のものであるとも言えるだろう。
そして、このように考えれば、辛い世間も、案外に楽に乗り切れるだろうと思う。









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