ニートや、DV(夫婦や恋人間での暴力)といった問題がなかなか解決しないのは理由がある。
それは、当人が自分のことを認識しないからだ。
そういった問題に対して相談に応じるような組織等もあるのだとは思うが、おそらく効果は望めないだろう。
なぜなら、それは、以下に述べる正しいやり方とは違うことをするはずだからである。

働きたいのに働けない場合、自分はなぜ働けないのかを、誤魔化さずに、自分ではっきり認識しなくてはならない。
そのためには、一切の言い訳や嘘、思い込みを排除し、正直に、そして、冷静に自分を観察しなければならない。
他人が正しく観察することはできないのだ。
本気で自分を観察すれば、例えば、自分が、働きに行く職場の人達を恐れているということが分かるかもしれない。
仕事に行くと、傲慢な上司や先輩が、自分を見下した目付きで、馬鹿にし、怒鳴りつけ、自分を野良犬のように扱う。
また、年下の先輩が、自分を蔑み疎んで、自分は他の人達や若くて可愛い女の子の前で、ひどい恥をかかせられるかもしれない。
あるいは、全く仕事ができず、時間ばかりが経って、どうしていいのか分からず、恐怖を感じ、泣き出したい気持ちになったり、あるいは、いい年をして本当に泣き出すかもしれない。
しかし、それが自分の本当の心であることが分かれば、自分の心が幼い子供のように弱いこと、自分には何の力もなく、従って自信などあるはずがないこと、自分がこれまで見下してきた誰かより、自分はもっと卑小であることを認識しなければならない。
だが、そんな自分を責めてはいけない。
ただ、正直に自分を観察して、自分の本当の姿を知るのだ。
自分は卑怯な弱虫であるのに、勇敢で強いと言っていては、変わることはできない。
だが、「俺は本当に弱虫だ」、「僕は何もできない子供だ」、「私は知っている誰よりも弱い」と本当に分かれば、変容は即座に訪れる。
しかし、繰り返すが、決して罪悪感を持ってはならない。
ただ、事実を冷静に認識すればそれで良い。
あなたは、今まで、そんなことをしたことがないのだ。
いや、誰もやっていないのだ。
だから、全ての人が、自分の問題を何も解決できないのだ。

妻や恋人に暴力を振るう男は、自分がなぜそんなことをするのかが分からないのだ。
それで、自分に暴力を振るわせる妻や恋人が悪いと言うのである。
しかし、どんな場合でも自分を責めなくて良いから、はっきりと自分の思考や感情を観察しなければならない。
すると、妻や恋人が、自分の自尊心や、こだわり、あるいは、趣味に対する配慮や敬いが欠けていることに強い不満を持ち、そんな理由で相手を恨んでいるのだということが分かるかもしれない。
認めるのは辛いかもしれないが、罪悪感は持たなくていいから、事実を受け入れないといけない。
すると、やはり変容は即座に訪れるのだ。

『ロリータ』という、ロシア出身のアメリカの作家ウラジミール・ナボコフの小説がある。
主人公のハンバートという名の中年男は9歳から14歳までの、自分の趣味に合う美少女に性的欲望を感じるのだが、ハンバートはその本当の理由を誤魔化し、自分は神聖な精神性を持った特別な人間であるからそうなのであると言っている。
そうである限り、彼はいつまでも惨めな変質者、倒錯者である。
もし彼が、自分をしっかり観察すれば、自分は、本で読んだだけでしかない知識ばかり自慢している、本当は何もできない、弱くて惨めな男だと分かるだろう。
そして、そんな自分が優越感を感じながら性的快楽を得られる相手は、未熟な少女だけだということを正直に受け入れることができれば、彼は救われるのである。
同じようにして、我々は、自分でどんな問題も解決できるのである。









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