日本では、プロ野球選手が他のプロスポーツ選手と比べ高収入であるのは、長い間の関係者の様々な努力があったのだろう。
企業が球団を保有するのは、当然ながら趣味ではなく、広告効果があるからだし、また、興行収入や、テレビ中継の収入が重要であるが、そのためには、根本的に、野球が国民の間で人気がなければならない。
人気の点で野球に対抗できるのはサッカーで、これもプロスポーツの中では選手の収入は多いほうだが、野球と比べるとまだまだで、その理由は、野球に比べると、一般的な人気(特にサッカーファンではない人々の関心度)が低いのだろう。
プロボクサーとなると、ボクシングだけでは、世界チャンピオンになっても、食べていくことすらできない。マスコミに取り上げられ、テレビ番組に出て人気を上げないと儲からない。一部にはそんな選手がいるかもしれないが、ボクシング自体の人気を上げる努力をしないと、他のボクサーはずっと貧しいままだ。
今は、プロレスラーというのはかなり厳しいのだと思う。
昔の人気があった頃でさえ、団体経営は楽でなかったはずだ。
かなり以前、ジャイアント馬場さんの本で読んだが、毎週午後8時、一時期は午後7時のいわゆるゴールデンタイムにテレビ放送が行われるという、今では信じられないほどであった時ても、ずっと赤字経営が続いて苦しかったという。
だが、全日本プロレスの社長でもあった馬場さんは、「それでも、選手のギャラ(ギャランティー:報酬)の支払いの遅延を一度もやらなかったことが俺の自慢だ」と書いておられたのが非常に印象的だった。
また、馬場さんが亡くなられた時、プロレス至上最高の選手と言われるルー・テーズが、朝日新聞だったと思うが、インタビューで、「馬場さんは選手としてだけではなく、プロモーターとしても偉大で、約束したギャラは必ず払ってくれる誠実な人だった」と述べていたことに感慨を覚えたものだ。
そして、そんな馬場さんが亡くなられてから、プロレスはすっかり駄目になっていったように感じるのだ。
馬場さんは、企業相手でも人相手でも、利益のために裏切るようなことを絶対にせず、受けた恩は決して忘れないで必ず倍返しする人だったようだ。
こんな人がいなければ駄目なのだろう。
フィギュアスケート等のごく一部の人気選手が、野球のトップ選手並の収入を得ていることもあるようだが、どちらかというと、そんな選手達が痛ましく見える。利益が個人(あるいは、その選手用の小さな事務所)に集中するのであるから儲かるが、選手は完全にモノ扱いだ。ある意味、企業の奴隷かもしれない。しかも、それは、気紛れな人々の間で人気があるごく短い間のことであり、たとえかなり儲けたと思ったところで、その選手に資産が残るなどということも、まず無いのである。

スポーツばかりでない。
お金を得るというのは大変なことだ。
音楽家は、子供の時から過酷な修行をして一流になれたとしても、サラリーマン並の収入を得ることも難しい。
たまたま美人に生まれ、ショーマンシップもできるピアニストやヴァイオリニストが、本来の演奏家としての技能と、そういった「営業力」を生かして、主に若い時にそこそこの収入を上げることもあるだろうが、総合的にさほどのものではないだろうし、何よりも、ほとんどの場合、演奏家、芸術家としての力を失ってしまうことになるだろう。
芸術家の営業や商業活動が悪いというのではないが、現在のマスコミや企業宣伝はあまりに精神レベルが低く、国民を快楽主義にすることで儲けることしか考えていないので、それに迎合していたら、あらゆるマイナス要因を抱え込み、芸術家としては死んでしまうことになるのは確かである。

そこにいくと、私は、クリプトン・フューチャー・メディアという会社は、初音ミクを大事にしていると思う。
あれほどの人気者なら、儲けに徹すれば、もっともっと大きな収益を得ることも可能と思うが、企業が成り立っていける限り、美しいものを大切にしているのだろうと思う。
そして、会社がそうであるから、良いファンが多く、初音ミクもずっと成長していけるのだと思う。

個人であろうが、企業であろうが、どんなに時代が変わっても、人間にとって大切なもの、失ってはならないものがある。
それを大切にしていれば、いずれは、恐怖に打ち勝ち、自由を獲得できるのだと思う。
そのためには、権威を崇めないばかりか、むしろ、権威を決して受け入れてはならない。
それは、個人であっても、企業であっても、非常に恐ろしいことである。
一時的には苦境に陥ることになるかもしれない。
しかし、結局は、そうであってこそ、本当の成功が得られるに違いない。
今は、このような美しい価値感を持ち難い時代であるかもしれない。
利益優先、欲望・快楽第一主義を当然のことと人々に思い込ませる勢力が支配する暗黒時代だ。
だが、恐れることはない。決して恐れる必要はないのだ。
もちろん、この世で生きていく限り、いくらかの利益や楽しみも必要かもしれない。
しかし、少しのもので満足するなら、目には見えない大きなものを得ることになる。
それは明白である。
多くの人がそれに目覚めることで、ようやく、世界は調和のある、平和で楽しいものとなるだろう。









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