「金持ち」って職業などはないと、本当に実感している。
当たり前のことであるが、なぜかそれが分かっていない人が結構いる。
金持ちというのは、何かの仕事で成功したついでになるものだ。
つまり、何かの仕事で、プロとしても秀でて、初めて、金持ちへの道が開けるのである。
だが、仕事で成功したからといって、必ずしも金持ちになれる訳ではない。
むしろ、一流になっても、サラリーマン並の金も残せないことの方が圧倒的に多いのだと思う。

そして、多くの人が、ビジネスで金持ちになろうとする。
ビジネスと格好良く言ったところで、商売と言うのと全く同じである。
ところが、商売でなら金持ちになれると思う錯覚も実に多い。
一流の商売人になるというのは、一流のピアニストや一流の野球選手になるのと何ら変わらないのだ。
良い商売人というのは、親が立派な商売人であることが多い。
ピアニストになるには、幼い頃から練習を始める必要があるが、商売人も似たようなものなのだ。
商売のことを何も考えず、商売の修行をしたことも無い者が、いい年になってから「よし、商売をやろう!」というのは、やはり、いい年になった人間が、「さあ、ピアニストになろう!」とか、「サッカー選手になろう!」と言うようなものである。
商売というのは実に難しいし、修得すべき知識や経験、心構えや哲学があり、それを身に付けるには、子供の頃から始めても、10年やそこらでは全然足りないのだ。

私は、全く、ビジネスセンス・・・つまり、商売人感覚が無いことを、いくらか商売をやって、本当に身にしみた。
商売の実力は、とてもではないが、短期間で身に付くものではないし、ましてや、多くの人が大誤解しているように、すぐにできるようなことでは全くないと思い知ったのである。
だから、商売の経験もないのに、親から譲り受けた資産で商売をやると、たちまち一文無しどころか、莫大な借金を抱えてしまい、人生を棒に振ることになる。

では、何かで一流のプロであるわけではなく、商売の修行をした訳でもない我々は、一体どうすれば良いのだろう?
まずは、何か好きな仕事で、一流とは言わないまでも、プロと言って恥ずかしくない程度になることだ。
ゼネラリストというのは、スペシャリストの経験がなければ、決してなれるものではない。
まともなゼネラリストというのは、いつでも、スペシャリストに戻れる者のことである。
プロになるには、最低10年はかかる。
10年以内でなったものは、全然大したものではない。
まして、1年だの、数ヶ月で、何かできるようになれるだのとは決して思うな。
まあ、それが分からずに騙されたり、惨めな境遇のままで終る者も多いのであるが・・・

だが、あまり心配しないで良い。
上に書いた注意を、当たり前のこととして受け入れれば、時が味方になってくれる。
自分は少しも大した者ではないと自覚し、身の程をわきまえて働けば、知らないうちに一目置かれるような者になっているのである。
むしろ、「この仕事で一流になってやるぞ!」と思って過度の努力をする者というのは、モノにならないものなのだ。
『ルパン三世 血の刻印 ~永遠のMermaid~』というアニメ作品の中で、ルパンに、「お前は何のために泥棒やってるんだ?」と聴かれた次元が、「美味い酒を飲むためさ」と即答したのが、実に素晴らしかったと思う。
あれこそが、プロの真髄であると思う。
つまり、過ぎた欲望を持たず、自然に入ってくるもので満足し、全てを成り行きに任せるが、かと言って怠惰にならずに運命を楽しんでいれば、嫌でも成功するのである。
商売人ではないのだから、豪邸に住み、ベンツに乗るような金持ちにはならないかもしれない。
しかし、そんなことはどうでもいいと思うほど、生き生きとした楽しい人生を送れるようになるのである。
だいたい、ルパンや次元、それに、五右衛門も、金そのものに何の執着もなく、大した暮らしをしていない。だが、楽しそうなのである。
そんな姿を描いているからこそ、40年以上も人気を保つどころか、ますます人気が高まっているのである。









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